一番綺麗なもの

 

 

お友達のご子息(27)と話していて

 

 

 

 

裕子さんは世の中で一番綺麗なものはなんだと思う?

 

 

 

 

と聞かれて

 

 

 

 

私は大好きな人の笑顔と答えた。

 

 

 

 

そしたら

 

 

 

 

人間にとって一番美しくあり続けるものは

手に入らないものだよ。

言われて

 

 

 

 

 

哲学好きな私もちょっと

ムッとしてしまった笑

大人気ない〜笑

 

 

 

 

 

一瞬の美しさや

もう会えない、手に入らないものは

自分の中で補正がかかるから

綺麗なままらしい。

 

 

 

 

 

果たしてそうなのかなあ。

どう思う?

 

 

 

 

 

 

綺麗なものは綺麗でいいけど

手に入る

入らないは関係あるのかな〜

 

 

 

 

 

 

自分の中で事実になってるというか

記憶としてあるってことは

もう手に入ってるのと同じじゃないんだろうか

 

 

 

 

 

例えば見ていない部分を妄想して

きっとこんなはず、

っていう所を見続けていたら、

それは手に入らないし

夢だし。

確かめようがないもの。

 

 

 

 

 

だけど

わたしはもう見てしまったんだから

むしろ一度手にしてしまったんだよ

 

 

 

 

 

なんていうか

ムッとしたってことは

もう会えないって事を自分の中で認めてしまったようなものなんだけど

きっとここが悔しくって今書いてるんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

でも事実として、

綺麗だった。世界一。

生まれて初めてあんなに綺麗なものを見たって思ったもん。

宝飾とか、芸術とかそんなものは霞んでしまう程

敵うはずもない、そんなくらいの。

 

 

 

 

 

世界一美しい存在のひと。

ほんとのこと。

 

親にお見合いの話を出されたので

 

 

 

 

ずっと好きなひとがいる。

片思いだけど、気がすむまで好きでいたいから

そういうのは持ってこないで。

 

 

 

と言ったら

 

 

 

応援はしないけど、好きにしなさい。

と言われた。

 

 

 

お母さんは不安そうだったけど

ひとつ貫く事が私にとってはとてもだいじ。

それはわたしの気持ちをだいじにすることだから。

 

 

 

まだそんなことしてるの?

って言われても

周りがどんどん結婚しようと

そんなのは些細な事で。

 

 

 

私にとっては

いつでも変わらず大好きなひとはひとりだけ。

 

 

 

それが事実。

それだけ。

愛情をもらってる

 

 

今日友達みんなでめちゃくちゃ飲んだんだけど

だんだん

心の距離が近くなって来たね、みたいな

ことを言ってもらえて。

 

 

 

 

それはさー

わたしじゃなくって

みんながそうしてくれたんだよーー

 

 

 

って思った

 

 

 

 

わたし

気づかなかったけど

めっちゃ人見知りすんねん。

怖かったんだよー

大したことない自分になるのがほんとにいやだった

でも

事実は事実

だけど

自分の事実を受け入れたら価値がないように思ってて

それは

前FBにも出したけど

人をめちゃくちゃ見下してバカにしてたからだ

バカにして

自分はまだ大丈夫って思ってた

 

 

 

 

だけど

なんの仕事をしてても

お金がかつかつでも

その場にいるわたしを見て

わたしの言葉を素敵に受け取ってくれて

色んなことを教えてくれたり

応えてくれたり

笑ってくれたり

する人たちがいて

 

 

 

 

もっと話したいとか

また飲もうねって

大丈夫だよって

言ってくれる人たちがいてさー

 

 

 

 

きっとみんなが優しくしてくれるから

わたし

ばかみたいに笑ってられるし

間違えられるし

だんだん勇気を持てて来たんだと思うさ

 

 

 

 

だって

みんなと会ったあとって

あったかくってうれしくって涙がでるんだもん

まだ終電逃すまで一緒にいる体力ないけど

ほんとにたくさんたくさん溢れるくらいもらってる

なんもあげられんのに

みんなめちゃくちゃくれるんだよ

だからまた怖くなっちゃうけど

それでも

愛おしいって気持ちがわんさかわんさか。

 

 

 

 

愛って勝手に感じてもいいんだねえ。

なんか、すごいや。すごい。

ほんと、ありがたい。

 

 

 

 

 

文字は芸術。

 

 

さっきFBで

わかって。

と一言だけ書いたけど

 

 

 

 

その前に何度も消したのよ

 

 

 

 

こんな事が言いたいわけじゃないって何度も思って

結局

 

 

 

 

わかって。

 

 

 

 

にまとまる。

 

 

 

 

わたしっていう人間を

その存在や

思考や

現実性を

わかってほしい。

 

 

 

 

ここに生きてるんだよってことを

わかってほしい。

 

 

 

 

意思を持って息をしてるんだよって

めんどくさとか

メンヘラとか言うのは

どうぞお好きに

 

 

 

わかってくれればなんでもいい。

 

 

 

 

正当化ズ

 

 

何か不安がある時って自分守ろうとして

攻撃的になるよね。

 

 

 

それは無視とか

とにかく触らないでとか

ケンケンとしたような態度とか

色々あるんだけども

 

 

 

 

 

わたしは隠し事が多い人間だけど

その隠し事が誰かに見つかった時に

相手を傷つけたら嫌だから隠してたりする

これ、正当化①

 

 

 

ほぼほぼ見つからないように隠してた事が

見つかった時

それは相手の

運か、

もしくは見つけたくって見つけに行った結果なのか

どっちでもいいけど

嫌われても

そうじゃなくっても

最近はもうなんでもいいかなって思う。

だって

その選択をしたのは私じゃなくて相手だから

これ正当化②

 

 

 

 

嫌いになりたくってなってる

好きになりたくってなってる

 

 

 

それだけ

 

 

 

だから

わたしの行動をいちいち見てあーじゃないこーじゃーないって言いたいひとは

多分わたしの事がそんなに

好きなわけじゃないと思う

 

 

 

友達だったら

大事なひとだったら

間違いは間違いだというべき

正しい方向に導いてあげるべき

とかいうけれど

 

 

 

最近おもうのは

 

 

 

大事なひとだったら

 

 

 

信じる

受け入れる

待つ

その人の行動に自分の感情を乗せない

わからなかったら聞く

 

 

 

だけなのかと思った

 

 

 

AIは間違わないけど

人間は間違うよ

選択を迷うよ

不安になるよ

一定ではないよ

 

 

 

だけど

不確定な想いを

信じたり

許したりできる

数字で証拠で埋め尽くされずに

ちゃんと隙間があるのが人間だと思う

 

 

 

 

隙間が人によって違う

埋め方も違う

埋めようとしないひともいる

 

 

 

でもそれでいいんだと思う

 

 

 

秩序って結局混沌がある所に生まれた言葉なわけだから

もとよりなんでもあり、がスタートなわけだし

 

 

 

 

わたしはほんとにしょうもない人間だよ

親がつけてくれた名前の意味通りの大それた人間にはまだまだまだなれそうにないし。

だけど

しょうもない人間だからこそ

許したり

受け入れたり

肯定したり

できるんだと思う

 

 

 

 

ひとは品定めなんかできない

だれもそうだ

すき、きらいだけ

 

 

 

 

わたしの行動をきらいなひとはきっと山ほどいるさ

わたしも今のわたしは好きではないさ

だけどさ

間違っても

腐っても

踏み外しても

ダサくっても

わたしのことを応援してくれるひとはいる

好きだといってくれるひとはいる

 

 

 

 

それで十分だよもう。

 

 

 

 

ちょっと不安になったから

色々頭の中で正当化してみて

自分で大丈夫だよ、と自分をよしよししてみた笑

 

 

 

 

 

 

対 誰か。

 

このブログは誰かに見ていて欲しくて

でも誰も見てないと思って書いてるつもり。

 

 

 

 

今日友達と話していて

役に立ちたいっていう気持ちがでてくると

多分自分の素の意見は出てこないなあって思った。

 

 

 

 

役に立つことが自分の評価を上げることに

繋がるって思っちゃうと

ほんとに相手を思って言ってるとは思えなくなった。

 

 

 

 

寄り添いたいのに

先に頭が働くのやだなあ。

でも考えちゃうんだよなあ。

 

 

 

 

幸せになって欲しいって思うけど

それはもはや相手のことを幸せじゃないって

言ってるようで

なんかそれは非常に尊大で傲慢で

わたし何様なんだ、とか。

 

 

 

 

 

ひとの話を聞く能力はどうやったらつくんだろうか。

 

知ってるけれども。

頭がおかしいんだということはわかってます。

 

 

 

 

 

でもでもさ。

 

 

 

 

 

好きって

あれがこうだからとか

何をもってるからとか

そんな、目に見えるものだけで判断できなくって

まるっとその人好きだから好きなんだと思う

 

 

 

 

 

そんなところも好き

他の人がやったら嫌かもだけど

あなただから好き

 

 

 

 

 

っていう一種盲目的な気持ちが

なんかいいな、とおもっちゃう。

 

 

 

 

 

世間一般的に

よく変わってるとか言われたりするけれど

それがよくもあり悪くもあって

だから

受け入れられる自分も時には出していかないと苦しいのも知ってる

だけど

変わってることは私の中ではとても

素敵なことで

もちろん同じ人はいないし

受け入れるのが大変な価値観もまだまだあるけど

 

 

 

 

 

それでも

好きって気持ちは

なにかを乗り越える時のパワーになったりするから

なんでもかんでも無理して好きになる必要はないけど

せめてナチュラルに好きになったものには

フルオープンでいれるようにしたいさ。

 

 

 

 

いわゆる

ゆうこの

う(受け入れる)

です。

 

 

 

 

 

最近出会う人たちのおかげで

キャパが広がってきたような気がするので

もっともっと

色んなことやものを愛せるようになったらいいなあ。