知りたいこと

 

わたしの事を好きな人に

わたしが好きな人のことを話してきた。

 

 

 

 

その人は

好きな気持ちはそれでいい、と言ってくれたし

好きな人の事で悩みがあるならいつでも言ってねと

言ってくれた。

 

 

 

 

きっと

その人を好きになった方がいい、って

100人中、99人は言うと思う。

 

 

 

 

でも

私が好きな人にだけは

私のそのしあわせを願わないでほしい、と私は思ってる。

 

 

 

 

天邪鬼かもしれないけど

 

 

 

 

「誰かいいひとができて、しあわせになってほしい」なんてそんな都合のいい事思わないでほしい。

 

 

 

 

 

あの人以外を好きになる努力をするなんて

到底、無理な話なんだって。

今日話してて思ったもん。

 

 

 

 

 

嫌い、ならそう言ってほしい。

嫌いにはならないから

どう頑張っても、女性として好きにはなれない、ならそう言ってほしい。

嫌いにはならないから

嫌いにはならないから

なれないから。

 

 

 

 

追記:

 

どんなひとが来ても

今好きな人を諦めることはしない、とわかってる。

できない、じゃなくて、しない。

きっと

色んな気持ちがあると思うけど

わたしはずっと彼が好き。

誰にどう言い寄られようが、関係ないさ。

あの人以外はわたしの大切な枠の中にいない。

入れない。

 

絶対だ。

そしてそういうのってやっぱり空気にでるんだね。

アプローチしてくる人はかなり減ったし。

言わせないし。

わたしも隙を作らないし。

だって。

あの人以外は違うんだもの。

 

 

はー、

重いなぁ

この気持ち。

 

 

でも実際だから仕方ないんだよなあ。

 

 

 

からまわり。

 

 

私の、口をついてでてくるものは

基本的に

反応が欲しくって出すものがたくさんある。

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

言いたい事を言ったつもりでも

相手からの反応がないと

放った言葉や想いは

一瞬で錆びてしまう

 

 

 

 

 

言葉はわたしにとってはとても大事なものだ。

 

 

 

 

だから

たまに

きたない言い方をしてしまった瞬間に

頭の後ろから頚椎にかけて

ざらついたような

嫌な感覚がべたついてくる。

 

 

 

 

それはいいとして

 

 

 

 

反応を、もらえない言葉は

死んでいるのとおんなじで

特に、あまり直感で生まれたままを話さない

わたしにとっては

言葉は自分の盾だ。

だから

言った言葉に対して

 

 

さして。

 

 

といったような対応はこの身を簡単に貫いてくる。

 

 

 

だから

正直安心できない場所では口数は減る。

 

 

 

何も言いたくない、というのが正しい。

だって

あたかも

「言いたい事はわかる」

「同じ感覚を持っている」

「大したことはない」

押さえ付けられるのにいい加減、辟易してきたし

違う人間のまだ何も発していない所から何が

わかるんだ、というシンプルな反抗心。

わかるよ、と自分に取り込みたいだけだろうに。

似た感じはあっても理解できるはず無い。

 

「わからないけど、

今わかりたくって、色々思いを巡らせているよ。」

と言われるのが一番誠実に聞こえてしまう。

 

 

 

 

それは容易に傷つきたがる自分を自覚してきたからこそ

よほど心が置けないところでなければ、と身構える

 

 

 

 

言葉は感情だし、感覚だと思う。

人格って言う方が間違いはないのかなあ。

態度は人によって変わると思うけど(対応なので)

言葉はそこまで変わらないと思ってる。

 

 

 

 

小説をたまに読むと

よく感じるのが

言葉は自分の中の思い出と大きく関わりがある。

 

 

 

 

恋している、と一息に言っても

物語の主人公の恋に自分が現実にしてきた恋を少なからず重ねてしまうはずだ。

それはもはや

フィクションではないよなあ。

だからこそ、泣けたり泣けなかったり。

 

 

 

 

小さい頃どれだけ周りに話しかけられたとか、

どれだけ本を読んだかとか

どんな経験をしたかとか

どんな教育、思想の元で生きたかで

言葉の意味が遥かに違う事を身に染みてわかる事があった。

 

 

 

 

 

だから全てを1から

自分だけの感覚で生きているひとはいない。

脱線するけど

人語を話さないで育ったら話はきっと別なんだろうなあ。

 

 

 

 

そういう意味でいえば

言葉は呪いなのかもしれない。

言葉は記憶で

継承されたDNAで

一番理解できないものを何とか文字にしたもので

わたしにとってはこころっていう部分。

 

 

 

 

言葉を交わさずに

感覚で恋ができるのなら

それはきっと運命だと思う。

それでいえば

私はきっと一度は両想いになれたと思ってる。

そう自惚れてもいい一瞬はあった。

ただなぜそう思えたかは

やはり言葉があったからなんだよね。

 

 

 

 

 

ひとり が向かう足

 

これから沖縄にひとりで行くんだけど

 

 

 

 

不安だし

わくわくするし

ただ雨はやだなあ。

だから

晴れてくれたらいいな、

あと

海を越えたら

本当のことを

全く知らない人に話してもいいかな

 

 

 

 

なんか

わたし気づいてしまったんだけど

最近は

元気でもないし

かといって

おそらく病んでもないと思うし

 

 

 

なんていうか

ニュートラルってこんな感じなのかもしれないとか

 

 

 

こ、これかーーーー!

みたいな

通常運転。

 

 

 

でも

わたしは私を喜ばせる為に生きてるから

それ以外のことしちゃうと

超グッタリ笑

 

 

 

なんかね。

なんでもいいわけないよね。

 

 

 

やっぱり

押し付けられるのはやだわー。

与えられたものじゃなくって

自分が選んだものじゃないと気が済まない。

 

 

 

他の人がいいなーとかいうなら

あげるよ

わたしが選んだ訳じゃないからさ

すごいすごい

失礼だと思うけど

選んでないものは要らないんだもん。

 

 

 

ていうか

要らないから選ばない

ひとのものを羨んだ時期もあったけど

それは自分のものになった瞬間に

色んな事に気付いてしまうから

やっぱり

ひとのものはひとのものだけであって

私のものにはなり得ない。

 

 

 

今は必要というか

愛しい、欲しいと思うものは決まってる。

時間をどれだけ掛けてもかまわない、と思えるものばかりを大切にしていきたいとそう思ってる。

から

それ以外は別にいいやあ。

 

 

 

選ばないことで

色々傷ついたり傷つけたりするかもしれないけど

それでもいいや。

おおまかなとこは合理主義度外視で行こう。

 

 

雨に寄す

 

 

たまあに変な事が起きる。

 

 

 

 

好きな人の事を考えていると

 

 

 

1

 

 

 

という名前のLINEから友達追加が来たり。

(どうせなら16とかならいいのにな笑)

 

 

 

 

 

紹介してもらった人の苗字が同じだったり

 

 

 

 

 

明日成田に向かう電車の出発時間があの人の誕生日だったり

 

 

 

 

 

無意識なのかなんなのか

そういう事が起きてしまう。

書いていて

ほとほと気持ち悪いなわたしは。笑

 

 

 

 

 

でも、そんなものなんだろうな、

たかが恋

されど恋

さっさとうまくいけばいいものを

そうは問屋がおろさない。

 

 

 

 

 

なんてことはないのに

とにかく

繋がっていたいと未練がましく覚えてる限りに縋り付いてる

 

 

 

 

それでも叶うことはきっとない、って

誰かに言われたけど

じゃあ手放したら手放したで手に入るなんて

そんなものなのかな。

正直言葉は悪くて申し訳ないけど

黙れ、と思った。

顔は笑ってるんだから、私は本当にいやな奴だな。

 

 

 

 

 

単純に雨で足が冷えて

初めて泊めてもらった帰りの道を思い出して

そんな時分に

twisted maple treeなんかが流れるから

こんな風に

忘れられないのを誰かのせいにしたくって

ももう嫌だ、と

違う人の手を触る気なんて毛頭無く。

だけど

この気持ちをそのまま本人にぶつける勇気はない

これ以上嫌われてしまうことなんかできやしない。

勝手に幸せになっててくれればいい、と思うけど

風の噂で聞くのは癪だから

遠いところに行ってしまおうなんて

なんて陳腐で子供騙しのようなかわし方なんだろう

 

 

 

 

 

言っても勝手に傷つくのに

言わなければまた勝手に傷つくし

 

 

 

 

 

こんな相手のリアクションありきの片思いってなんなんだ。

会いたいなあ。

話したい。何時間一緒にいても飽きないひと。

 

 

 

 

 

 

とりあえず明日から沖縄だから風邪ひかないように寝よう。

 

 

一番綺麗なもの

 

 

お友達のご子息(27)と話していて

 

 

 

 

裕子さんは世の中で一番綺麗なものはなんだと思う?

 

 

 

 

と聞かれて

 

 

 

 

私は大好きな人の笑顔と答えた。

 

 

 

 

そしたら

 

 

 

 

人間にとって一番美しくあり続けるものは

手に入らないものだよ。

言われて

 

 

 

 

 

哲学好きな私もちょっと

ムッとしてしまった笑

大人気ない〜笑

 

 

 

 

 

一瞬の美しさや

もう会えない、手に入らないものは

自分の中で補正がかかるから

綺麗なままらしい。

 

 

 

 

 

果たしてそうなのかなあ。

どう思う?

 

 

 

 

 

 

綺麗なものは綺麗でいいけど

手に入る

入らないは関係あるのかな〜

 

 

 

 

 

 

自分の中で事実になってるというか

記憶としてあるってことは

もう手に入ってるのと同じじゃないんだろうか

 

 

 

 

 

例えば見ていない部分を妄想して

きっとこんなはず、

っていう所を見続けていたら、

それは手に入らないし

夢だし。

確かめようがないもの。

 

 

 

 

 

だけど

わたしはもう見てしまったんだから

むしろ一度手にしてしまったんだよ

 

 

 

 

 

なんていうか

ムッとしたってことは

もう会えないって事を自分の中で認めてしまったようなものなんだけど

きっとここが悔しくって今書いてるんだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

でも事実として、

綺麗だった。世界一。

生まれて初めてあんなに綺麗なものを見たって思ったもん。

宝飾とか、芸術とかそんなものは霞んでしまう程

敵うはずもない、そんなくらいの。

 

 

 

 

 

世界一美しい存在のひと。

ほんとのこと。

 

親にお見合いの話を出されたので

 

 

 

 

ずっと好きなひとがいる。

片思いだけど、気がすむまで好きでいたいから

そういうのは持ってこないで。

 

 

 

と言ったら

 

 

 

応援はしないけど、好きにしなさい。

と言われた。

 

 

 

お母さんは不安そうだったけど

ひとつ貫く事が私にとってはとてもだいじ。

それはわたしの気持ちをだいじにすることだから。

 

 

 

まだそんなことしてるの?

って言われても

周りがどんどん結婚しようと

そんなのは些細な事で。

 

 

 

私にとっては

いつでも変わらず大好きなひとはひとりだけ。

 

 

 

それが事実。

それだけ。

愛情をもらってる

 

 

今日友達みんなでめちゃくちゃ飲んだんだけど

だんだん

心の距離が近くなって来たね、みたいな

ことを言ってもらえて。

 

 

 

 

それはさー

わたしじゃなくって

みんながそうしてくれたんだよーー

 

 

 

って思った

 

 

 

 

わたし

気づかなかったけど

めっちゃ人見知りすんねん。

怖かったんだよー

大したことない自分になるのがほんとにいやだった

でも

事実は事実

だけど

自分の事実を受け入れたら価値がないように思ってて

それは

前FBにも出したけど

人をめちゃくちゃ見下してバカにしてたからだ

バカにして

自分はまだ大丈夫って思ってた

 

 

 

 

だけど

なんの仕事をしてても

お金がかつかつでも

その場にいるわたしを見て

わたしの言葉を素敵に受け取ってくれて

色んなことを教えてくれたり

応えてくれたり

笑ってくれたり

する人たちがいて

 

 

 

 

もっと話したいとか

また飲もうねって

大丈夫だよって

言ってくれる人たちがいてさー

 

 

 

 

きっとみんなが優しくしてくれるから

わたし

ばかみたいに笑ってられるし

間違えられるし

だんだん勇気を持てて来たんだと思うさ

 

 

 

 

だって

みんなと会ったあとって

あったかくってうれしくって涙がでるんだもん

まだ終電逃すまで一緒にいる体力ないけど

ほんとにたくさんたくさん溢れるくらいもらってる

なんもあげられんのに

みんなめちゃくちゃくれるんだよ

だからまた怖くなっちゃうけど

それでも

愛おしいって気持ちがわんさかわんさか。

 

 

 

 

愛って勝手に感じてもいいんだねえ。

なんか、すごいや。すごい。

ほんと、ありがたい。