唯一

 

何が欲しい?

って聞かれたら

 

時計がほしい。と言いそう。

 

ブランパンかブレゲがほしい。

あとはもういりません。

 

ブランパンのいいなあと思ったやつ、桁間違えてて笑った笑

1せん8ぴゃくまんて…

 

なんだよ、それえ。

とりあえず

2番目にほしいやつが買えるようにがんばりまする。

お仕事みつけねば〜

アルコールランプのフタ。

誰かの役に立ちたい

とか

誰かを守りたい

って思うけど、それは分不相応だと言われた。

そういう事ができるのは

強くていろんな力があって、かつ

人の上に立つ人がやればいいって

そうなのかー。

そうなのかなあ。

弱い人間がそれ相応に強くなろうとするのは間違いなのかな。

あの人からしたらわたしは弱い人間なのかな。

弱くいてほしい人間なのかな。

思考ばっかりな人間だと言われれば、

大正解!

と言えるけれども。

せめて

順番待ちだなあ、まだいいんだよ。

って可能性を残して欲しかったんだな。

人に必要とされたいんだよなあ。

 

なんとなく、理解した(気がする)

 

どんな事があってもわたしはあなたを傷つけるつもりは無いし、侮辱するつもりもないし、貶めたいとも思わない。

ただ、安心感の中でしあわせに笑っていてほしいと思う。

 

つまり、

この人はわたしを幸せにしてくれない。と判断するというのは

①自分は幸せになりたくない

②相手の事が好きではない

が混ざった考え方かもしれない。

 

そもそも相手次第で

幸せかどうか、って決めるの相手まかせすぎるよなあ…

わたしはこうだったら嬉しいし、楽しいっていう状態自体を相手にしてしまったら

相手は荷が重すぎるし、相手からしたら知ったこっちゃないよなあ。

 

何かしたら嬉しい、

何かしなかったらそうじゃない

って機能的価値なんかどうだっていいんだよ。

 

やっぱり、思いを馳せるだけで安心するひとってすごいや。

お腹のあたりがあったかくなって、ほっとするんだ。

いてもいいよ。

って言われてるようなそんな安心感。

安心感を愛と呼ぶのかもしれない。

はやく会いたいなあ。

 

起きてしもうた

 

最近眠くなって早くねても

体力ないのな、

起きてしまう。

最近、月のものがくるたび

足の中が痛い。

ビリビリする。

いたい、つらい。痛い。

起きてもお腹いたいし、足も痛い。

寝てても起きてしまう。

どうしたものか。

こまた、こまたなあ。

明日って2019年最後の日かあ。

何を置いていこう。

何を持っていこう。

 

画面メモ(2019.8.13より)

血まみれでもいい。

表現を止めないんだよ。

 


「あんたはキチガイよ!」

 

今頃知ったの?

女も男も関係なく、人間だってことさえも意味がない。そうじゃなければ、自然な感情なんて出てくるわけないでしょ。

だって、わたしはわたしを表現するために生まれてきたんだから!

それを止めるなら、いっそ殺してよ。母親(アナタ)の手で。産んだ責任ってそうでしょ。

わたしはここにいる、存在してるんだって、知ってもらうために息してるんだ。

だからどんはやり方であろうと、わたしは表し続けるよ。

黒が透明になろうと、空気でさえなくなってもわたしはそこに居る。ややこしいな、って思うあなたの感情の中にさえ、わたしは存在してるんだ。どこまで追っていっても、わたしはわたしのことを諦めないし、一番愛してるってことに気づいてしまう。

なんのために恥ずかしくって、なんのためにかなしくなってるかって、そういう自分を知るためでしょ。目的もないのに感情なんか起きやしない。めんどくさがりなんだから。

 

だってさー。

 

寡黙の池

 

生欲とまじえたようなやーつ。

かいてる。

全体的にチャコールグレーな雰囲気。

今の家がそうだからそうなのかな。

 

まともな恋をしたら蜜璃みたいにピンクになるのだろうか。

そもそもまともな恋の前にまともに人と向き合わねばw

 

短い間ですが、毛布欲しい(笑)

凄まじきかな。

この間元お坊さんの友達と話してて

自分の事好きじゃない人を好きになるって苦行でしかない。

得にもならないし

徳を積むどころか

煩悩増えて心の負担がかかるだけでしょ

そんなに自分の事酷い扱いしてるならさっさとドナー登録して、臓器に負担かからない形で死んじゃいなよ。

って言われて、

 

たしかになー

と思ったんだけど、

その時に何を考えたかって

 

親の事なんだよなあ

 

ただこの期に及んで親を盾にしてるのがわかって笑ってしまった。

 

もっともっと楽しいこと、気持ちいいこと、美しいことがあるのを知ってるのにあえて苦しい方を選ぶのはどうしてなんだろうね。

そんなん、わかりきってる。

楽なんだよ。

苦しいほうが慣れてる。

なにもしなくていい。

きっと、永久に変わらないものの中にいる方が楽なんだ。

変化は怖いし、労力がえらくかかる。

だけどたぶんそれではわたしがよく口にする

「ほんと」にはたどり着けないと。

彼曰く

わたしの場合、家族が憎いとか嫌いとかじゃなくて

家族を愛しすぎていて、それが無意識の自己犠牲につながってるらしい。

 

おばあちゃんやお母さんがかわいそう、なのにわたしだけ良い思いをしてたら不平等だし、嫌われてしまう。って

わが家は家族なのに上下関係があり、敵対関係でもあり、さらにいえば平気で伴侶に死を望める人たちを見たら

嫌われたら、死ぬの方程式が出来上がってしまったし

なんやかんや、人が怖すぎるわたしは他人を信用できないし法で、世間体で守られた

家族

しか縋るコミュニティがなかったのかもしれない。

 

ただ冒頭の話に戻ると

なぜわたしを選んでくれない人を選ぶかっていうと

きっといつまでも綺麗なところだけ見せてられるからだと推察した。

取り繕わないわたし自身をわたしは好きになれないんだと思う。

そして私を選ばない人はわたしに踏み込んでこない。

見せたくないところを見ようとしない。

もちろん辛くなるのは目に見えてるし、相手だって距離をおかれてることには気づいてる。

から、距離をおかれる。

これまで何百回とおなじようなことを考えてきたけど、なにも変えてない。

そりゃ、変わらない。

わかりきってるのに、この思考に横槍をいれないわたしはわたしをどうしたいんだろうか。

 

でも

こう扱っても大丈夫だ。

って思ったとおりに扱ってるし、扱われるよね。

わかりやすいものです。

ほんとうに。