いないのとおなじ

 

わたしのちっぽけな世界で生きてる人は

家族

すきな人

何人かの大事な友達

nもさん及びわたしの先生

 

 

 

 

このくらい。

 

 

 

 

思い出せない

日常的に意識にのぼらない

そんな感じのひとは

きっと存在してない。

 

 

 

 

でも

きっとそれはみんなもそう。

 

 

 

 

親にとって

大好きな人たちにとって

わたしが生きてれば

そこにわたしはいるわけだから

 

 

 

 

忘れられないように

生きていけたらいいのにな、と思ってる

このブログとかFBとかTwitterもそういうものだと思ってる。

 

 

 

 

 

alexandros

RUNAWAYって曲に

 

 

 

一番になったって

二番になったって

結局最後はみんな消えてくんだ

僕が死んだって何も残らないから

生きているそのうちは死んでたまるか

 

 

 

 

ってあるんだけど

 

 

 

こんな気持ちで

 

 

 

生きてやる。と思った。

 

 

 

 

2ヶ月くらい前にほんとに

グッバイしたいと思ったけど

飯田橋エスカレーター上がってく時に

目の前のおにーさんのTシャツに

NEVER DIEって書いてあって

 

 

 

 

そうだよなあと思いながら土手を歩いたっけなあ。

 

 

 

 

 

明日がわたしの最後の日だとしたらって

なんかいも思ってみたりしたけど、

実感なんかないから

来るかわからない半年後一年後をただぼーっと見据えてみたり。

 

 

 

 

もし明日がわたしの最後の日だったら

 

会えないひとには電話とメールを打って

隠してきた事が露呈しないように色々処分して

最後まで自分の恋を貫きたいなあ

 

  

 

 

なんもなくてもいいから

一緒にいれるだけでいいんだよなあ。

 

 

 

 

 

でもさー、

もしこのままほんとに結婚をせずに

気持ちだけはただひとりのもので居続けたら

それって

なんか素敵かもとか、思ったりしちゃってる

親に孫を見せることはできないかもしれないけど「ほんとに何にもならない」とか怒られそうだけど

寂しがりの私は最期寂しいかもしれないけど

でもなんか、いいんじゃない。

それも。って思う。

 

 

 

 

 未完成で終わり、って私の史上最強に最低な別れ方をしたひとが言ってたけど

別にそれも悪くないかな。