きよらかさが全てではないのか

 

さよならだけの人生が

 

 

 

どうしてここに来て

 

 

 

「終わりたくない」と強請るのか。

 

 

 

官能先生を見つける以前に

今日は

あのひとの誕生日なんだよ。

 

 

 

前から色々と用意していた言葉が全て飛んでいってしまった。

 

 

 

私はきっと思い出が欲しいんだ。

それも人に触れ回るような自慢ではなく 

いつも書き終わっては奥にしまう日記のように

私しか、見れない、触れられない、そんな。

そんな、一夜の夢を。

 

 

 

刹那的な感情だ、陶酔だ、哀愁だと言われようが

一夜を何度も何度も繰り返した私にとっては

あれは永遠なのだと。

 

 

 

そして

愛していたら

心も体も欲しいと。

そうなるのは普通の事なのかもしれない。

いちどきり。

とわかっていたのなら、しなかったであろう

ことも。

その時には、きっと欲しい心はあったのだと信じたい。

 

 

 

 

体を繋ぐことが

どこか怖いわたしは

相手の見えない感情を受け容れることが

怖かったのかもしれない。

 

 

 

 

そして、拒否される度にすこしだけ

安堵していたんだろうな。

よかった、変わらずに。

よかった、変わらずに、私は居ていいのだ。と。

 

 

 

 

欲しい物が手に入らない子供のようであって

感情のコントロールをせずに

ただ、どこかで。

よかった。と。

 

 

 

 

でも、朝起きたら

何もなく

おめでとうございます、とそれだけ言いたい。

こいごころ、という私のやましさは消さなければ

また見返りを求めてしまうだろうし。

 

 

 

 

きっと。

わたしは悲しくなってしまうし

かなしい、と笑う。

けれど。

変わらずにしあわせでいてほしい。

清らかさや正統さを愛するひと。

ひとこと。

ありがとう、と伝えられたら。

わたしの中の愛は自己満足するだろうな。