見つけたこと

 

わたしどうしてもどうしても寂しくなってしまう。

なんでなのだ!

なんで寂しい、って事を選択しちゃうんだろうと

考えて

 

精神構造 寂しい

 

で検索。

 

そしたら

脳って痛みを感じる部分と、寂しい気持ちを感じる部分っておなじという事を知る。

 

もしかしたらなんだけど。

 

体のどこかが無意識に痛いのかもしれない。

だけど、体は気づいてもらえないから

わたしに

「寂しい」という感情で訴えてきてるのかもしれない。

 

痛いことに気づいて、寂しいよ。って。

 

なんかそれを聞いて、体大事にしよう。って思った。あと、わたしの体今どうなってるかわからないから知ろう、って思った。

 

検査行こうか。

ほっといてごめんね。

すっぽんぽんで寝て、お腹冷やしてたのかな。

合わない靴を履かせてごめんね。

体重も増やしすぎてごめんね。

足や、腰に負担かかってるよね。

最近まともなもの作ってあげなくてごめんね。

栄養偏ってたね。

もっと大事にしてあげなきゃね。

 

寂しい気持ちは

どこかが痛い。

それは体なのかもしれないし

ほんとにこころ、と呼ばれるとこなのかもしれない

でも、

寂しい気持ちは誰かのものではなくて

ほんとに自分の中で起きてることだから

誰かや何かで埋めるとかできないんだね。

 

 

で、やっぱりなんだけど。

子供は叩いたらいかん。

転ぶとか遊んでケガはしかたないけど

親が不安の種を蒔いたらだめだ。

教訓になることもあるけど、小さい頃は多くを判断なんて中々できないから

 

なんで叩かれたのか、

なんで痛いのか見つける理由は、その時知ってる事

すき、きらい、わからない

くらいの中からじゃないと選べない。

 

わからないってこわい。私は特に。

一生懸命考えるけど、わからないから

間違えた答えを選択してそれにずっと苦しめられる

 

かもしれないよね。

 

私の中で

(叩く)=痛い=大事ではない=嫌い=不安

という方程式ができてしまっていたから

 

もしかしたら体調が良くないときほど

「嫌わないで」って

不安になって周りの人に攻撃的だったかもしれない

 

でも、痛みを感じた時にひとりではなくて

誰かが抱きしめてくれたり、撫でてくれたり

大丈夫だよ、って一緒にいてくれたなら

 

うるさい、ばしーん!とかではなくて。

 

痛みや、不安を感じる度に、叩かれたり、痛い思いをして怒った親の顔や言われた事や、怖い態度がきっと潜在的に思い出されて「嫌われたくない。」と

小さな自分が震えてしまう。

でもわたしはもう大人だから、その不安を隠そうとして嘘をついたり、無視したり、やり過ごそうとする。

そんな自分を知ってるから、結局周りに対してもそう思ってしまうし、どんどん自分を嫌いになる理由を増やし続けて、

こんなわたしは好かれるわけない、ととんでもない事やってみたり、とんでもない人と付き合ってみたり、自分が求めてることとは違うことをやって、どんどん自分をいじめ続ける。

そうなるとどうなる?

 

自分だったものが、よくわかんなくなっちゃう。

 

で、よくわからない不安に追われる日々を過ごすと。

 

そういう癖がついちゃうから、

親は子供が「親の言葉を理解するまで」は叩いちゃダメだと思うのだ。

 

脱線したけど、

わたしはもしかしたら体調が良くないのかもしれないから、病院に行こうと思うし、

もっと体のケアをしてあげようと思う。

 

人にするように、自分にも愛を。