よくよく考えてみたら
わたしが恥ずかしい、と初めてちゃんと自覚したのは
4歳のときだったなあ。
なんかよくわかんないけど
たぶん演歌の番組見てて
好きな男性への寂しい気持ちを歌った歌があって
好きなら優しくしてあげればいいのになあと
思って
自分でも歌詞を書いてみたんだった。
わたしのことが好きなんですか
いつから好きなんですか
わたしのことが好きなら
優しくさわって、優しく話して
わたしがしてるように
優しくしてください
みたいな
そんなことを書いたような気がする
で、それが母に見られて
第一声が
なんなの、これ!(嫌悪感)
で、
わたしはその時初めて、なんかこれは見られたら良くなかったんだ、なんか隠さなきゃいけないんだ、と思った。見られて胸がざわざわして頭が熱くなったもん。
たぶんあれ。
そしてわたしは言葉を小5まで封印。
代わりに絵を書いてた。
小2,4と県知事賞をもらって、賞状をもらったけど
まったくもってなんであの絵でもらったのかわからなかった。
絵は勝手に見た人が意味を決めるのに
なんで、適当に描いた絵がすごいんだろうっていつまでもわからなかった。
で、小5で初めて小説を書いた。
ワンピースのパクリみたいなやつ。
中学上がる前に燃やしたけど。
で、大学卒業してからずっとちょこちょこ言葉を書いてる。
普段感じてる不安とか
悩みとか、出どころが非常に危険な場所からの言葉なんだけど、わたしにとってそれは割と本物のハリボテだった。
でも、26の手前で婚約破棄をした時、幻冬社に持ってった。ほとんどヤケで。
その時の応募規定にそぐわなかったから勿論落ちたけど、
担当してくれたおじさんからは、これからも書き続けてほしい、と言われた。
お金儲けだから、そう思ったんだろうな。とその時は思った。
その時にわたしはやめよう。と思って、できるだけ普通の人生に寄りかかって生きようと思った。
けれどまあ、不倫はするわ、不倫途中で今でも忘れられないくらいすきなひとを見つけてしまうわ、その人を忘れようと付き合った相手と子供ができて、降ろしたり、父と母の精神をぐしゃぐしゃにして家から飛び出したり、散々人様に迷惑をかけて、自分の腹の中のものを弾きださなくては死んでしまいそうな出来事をどんどん増やしてしまって、それはたくさん書いた。
わたしのツイッターは、いつのまにかもやせないゴミ箱になった。
こういうのを世間ではメンヘラと呼ぶらしいが、
わたしはメンヘラではなくて、吉川裕子です。
で、今日は残波岬に来ていて、
そういえばなんでみんな沖縄の青い海を見に来るんだろうなあと思ってぼーっとしてた。
残波岬の海は青くない。
東京湾程汚くないけど、エメラルドグリーンとかブルーじゃない。
でも
みんな海を見て
きれいだねーっていう。
みんな綺麗なものがみたいんだ、
普段見れない、なにかがきっと見たいんだと思う。
どうしてかはわからないけど、
空と海は青い。
で、これもなんでだかわからないけど
みんな青い空と海に美しさを見る。
美しいものを見て、どんな気持ちになるんだろう
豊かな気持ちになるのかな
だから綺麗なものがいいんだろうか。
見たことないものを見た時の気持ちの高揚感は似たものを感じれるからわかるけど。
今日は夕陽がきっと綺麗に見れるはず。
そんなことを思いながら
イタリアに行きたいな、芸術家になりたいな、
できれば人に喜んでもらえる何かになりたいな、
またいつか会いたいな、と思ってる。
わたしの心を揺さぶり続ける、なにかが欲しいんだ