さよならを何回も

 

今日たまたま右折したらなんかわからないけど

切り立った崖が見えて

そこから見える海が見たくなって沢山右折して右折してそしたら絶対ここ、ハブでる…みたいな森林にあたって、これはさすがに入れないと違う道入ったり。

そしたら結局読谷の穴場を見つけた

 

仕事をやめようと思ってる矢先に凄まじく綺麗で怖いところ見つけてしまった。

蟹とか変な虫がうじゃうじゃしてて、怖かったから

波のギリギリ真下まで行けなかったけど

 

でも綺麗なところ。

夕陽観にいかなきゃ。

絶対綺麗だもの。

 

ブランディングとか

やらなきゃいけないこととか

誰のために動いてるのかわからないことは

わたしにはあまり理解ができないから

こんなに頭が悪いことや

要領が悪くて、ダサいところがあるなんて

正直知りたくなかったな

だって恥ずかしいし、こんなわたしは誰からも選んでもらえないんじゃないかって不安だもん

お金にもならない、この感覚は誰のために価値があるんだろうって。

 

自分の感性や感覚にしたがってる時の自分はとても好き

誰にも縛られることなく

何の気なしに出る言葉や、

こっちに行こうという単純な勘だけのベクトルや

性格良くなく

でてくるプラマイ両方の感情も全て

品はないけど、意味もないけど

気持ちいい。

風が弱いなあとか

良い匂いだなあとか

この虫は怖い動きするとか

体がふわっとぞわっとぶわっと

なんでもいい、動く、感じる瞬間がわたしにとってはなによりも本物だ。

頭で考えると無駄なものがおおい

逆に心が動くものは無駄だろうとなんだろうとしらない

無駄とか言ってる時間がないくらい

わたしの体を駆け巡って名前のない、感情が生える

そこに

こうあってほしい、という願望が乗ってきたとき

ようやく似た感情と元々あった記憶が掛け合わされて

自分のあたまで理解することができる

これは、こういうことなんだって。

だから感じたことは全て間違って言葉になってでてくる。

それは仕方ない。

だっておんなじこと感じてないはずなのに

でてくる言葉は同じってそんなわけない

感じたこと、そのまま100パーセントの純度で言葉にできるマシーンがあるならそれが一番欲しい

 

そんなもんだ。