手を離して歩いていくのだ、

 

こどものとき、手を繋いで歩いていて

楽しそうなものがあったとき、ふと手を離したくなって手をゆるめたら

親は強く握っていて、欲望のままに走り出すことができなかったなあ。

あれ、見たいと言えなかったしなあ。

なんか悪い気がしてしまっていて。

だから、小さい頃からひとりで買い物に行くことがとても気楽だった。

色んな制約はあったけど、

自分で決められる、という行為がとても心地よかった気がする。

 

成長するにしたがって

都合の悪いことを誰かのせいにしたがるようになった。

小さい頃の方がよっぽどそこはまともだったと思える。

 

最近それがもういやになってきてしまって

すこし

色んなものを手放していこうという気になってる。

ごめん、私は責任とれないことばかりに手を出しすぎたんだな。もう無理なのだ。

何かがあることでもちろん幸せな気持ちにはなる時もあるし、

ないことで切なくなったり、不安になったりする。正直苦しい。

ただ、もうこれ以上辛い気持ちになるのはいやだ。

相手にもそうさせたくない、から

応援しながら、手を離して遠ざかろうと思う。

今までとは違うのは

相手の幸せを願ってないことだ。

だって幸せなはずだから、いいんだ。

私の考える幸せとはきっとかけ離れてるはずだ。

だから願わない。

とりあえず、ありがとう。と強く思ってはいるけど、タイミングが合わなかったねえ。

わたしの人生とはかみ合わなかったねえ。

それまで、ではないけどさ。

あってもなくてもおなじなのなら、

ごめんだけど、次に進みたいから、手を振るよ。

ちゃんと、見送るし、見守るし、大切に思い続ける。

 

これはわたしの気持ちの問題だから、

わたしのわがままだし、わたしの弱っちいところ。

ごめんよ。

 

ただ、コントロールしたくて手を離さない親のようにはなりたくないのだ。

わたしが、わたしを縛り続ける理由にしたくないのだ。

だから、ごめんよ、ありがとう。