知る 理解する 使う
使い切らない物ばかり身の回りにある気がする
贅沢だなあと思う
使いたい人のところに勝手に飛んでいってくれないかなって本当に思う
ジモティ 使うのめんどくさいんだよなあ。
シモンズのマットレスどーしよう…
仮にそういうスタンド(いきなりジョジョ)が発動したとしてたら、
わたしの欲しいものは何が残るんだろうか
また、
欲しくても残らないというのは
わたしよりもそれを欲しがった人がいるからと、そういう解釈でいいのだろうか
欲しがり方の問題なのか、
思いの強弱なのか、
なんらかの判断基準があるなら教えてくれたもれ
なんか、今あれこれ考えてるんだけど
結局シンプルな状態が1番美しくって、かつ安心する。
必要最低限で生きていける。
そうであって欲しい。
これでも物はだいぶ少なくなったと思ってるけど、それでも重い。
なんか、重いのだ。ひとりのくせには。
頭の中はいつでも吐き出せるもので埋まってるし、引っ越してきて一度も使わないアレコレ。
重いよなあ。
自分で買ったものって、よほど気に入ってなければ躊躇なくゴミ箱に放り込める。
これって、ほんとはあんまり良くないなあって思う。
わたしが何か買う時って必要に迫られて買う時か、見栄を張っちゃう時が多いからだ。
逆に好きで買ったものは相当に長い。
そういえばJin'sで買ったサングラス、もうすぐ7年目だ。ありがとう。大好きだ。
あとは、バンブーハンドルが流行る前に買ったバッグ。あれは先行したなあと自分でもニヤニヤしてしまう笑4年目。ありがとう。
あと手元に残してしまいがちなのは、
だれかからいただいたもの。
その人への思い入れが強ければ強いほど残してしまう。
思い出ってすごいよ、ほんとに。
わたしが持ってたいんだろうな。
物がないと思い出せないのかな、逆に。
それって薄情な気がしてならん。
さて、
贅沢について書こうと思ったんだった。
いつから
何を
贅沢などと
理解したのかなあ
そもそも
お嬢様コンプレックスひどかったもんなあ
なんとか
なんとかして
「いいところの」女を演じ切らなくてはダメだったからなあ
なんでだろうか。
良いところの女子への認識が安直すぎてしょうもないがらくたが出来上がってしまった。
でも、もう張りぼてのがらんどうは見せられないほど色々塗ってしまった。
そういうの隠してるから嫌われるんだって
ただの公務員の子供だろ、おまえは。
中流にギリ食い込めるくらいの家庭でしょう。
家族のステータスがアイデンティティってどんだけ人生家族に任せっきりなんじゃい
責任とれよ。そろそろ
贅沢って、今持ってない物を欲しがることなのかもしれないなあ。
ゆったりした時間とか
お料理が楽しい環境とか
毎日なんか安心してられることとか
だれとも比べられないこととか
とりあえずほんとにありとあらゆる事は自分にとって大したことないとか
好きな人と一緒にいることとか
高級ホテルでの1ヶ月とか、
海外生活とか、良いバッグとか、カルティエの時計とか、そういうのじゃない。
見た目をいくら似合わないもので飾っても、満たされるわけもなく、取り繕えるのは一瞬で無理してるのが見え見えなのだ。
贅沢というものは
無理から始まるものだという認識だったのに
今となっては無理をしない、というのが1番の贅沢になってしまった。
使い方をよく考えよう。
本当に 贅沢をしたいときのために。