petite mort

小さな死、について

最近初めて作品を通して知った。

 

セックスの先の絶頂を小さな死、と呼ぶらしい。

 

なんか叙情的だ。

この言葉を考えたフランス人さすがだな。

快楽の頂点に脳に漏れた表現が、死。

しかも小さい。

 

気を失うほどの快楽があったのか、

痛みなのか、別の何かなのか。

 

小さい死に対して大きい死とかはないところが、気取っている。

というか、茶化されていなくて好きだなあ。

 

わたしも

通学中にいきなり気を失った時

腸捻転で痙攣しながら吐いた時

40度の熱を出して診察台で気を失った時

あ。死んだ、と思った。

 

命の綱が切れそうだったことは、覚えてる限りその3回だ。

良くも悪くもセックスで、死にそうになったことはない。

 

それはいいけども、

小さな死

はどうやって訪れるのだろう。

 

一般的な死ではないから、再現のしようもないけど。

死んでも、生きている、

死んでも、すぐ生まれ変わる

死んでも、すぐ生き返る

なんだか私の考え方だとどうもロマンティックにはならないなあ。

 

あと、死ぬってことだけど

勝手に死ぬのか、殺されるのか。

ひとりで死ねるけど、相手には殺せないとか、

あくまで抱き合う相手がいないと

petite mortとは呼べないのか。

もじゃもじゃした蔦の中にトリモチを突っ込んだみたいな気分だ。

 

自分のタブーの中に爆薬投げて、表面を覆ってるものを壊していく感じ。

 

この考えに終着はなくて、ずっと腕に抱いてあやしながら機嫌を取っていく。

ようやく笑ってくれた瞬間を切り取って最上のものとして記憶と表現に残す。

 

なんか芸術ってそんな気がする。

 

快楽ありきなのか

感情ありきなのか

petite mort

 

小さな死を迎えた。

なんて書こうものなら、なんか気障ったらしくてその後のハナシもきっと胸焼けするだろうと本を閉じてしまいそうだけど。

 

終焉に美を感じるDNAの私は、この表現をどう解釈して受け入れるんだろう。

体験したことの無い事は、イメージするのが難しくて、曖昧になりすぎてしまう。

 

生に向かっていくこの死は、まだまだ深掘りしていけるなあと思った。

 

あー、この日記読み返して追記とか加筆してしまうなあ。