雪見障子

 

いつかもしだけど、家を建てるないし

買うのであれば 日本建築にしたい。

 

 

19歳までは、実家は平家で

たまに庭師の方が来て庭園の庭を手入れしてくれていた。

縁側から見るお庭の向こうには竹や樫が生えた大きな林があって、間違えて入らないように堀がぐるっと掘られていたなあ。

お転婆だったからよく落ちたけど(笑)

 

 

襖に書かれている絵からいつかお化けが出てきてしまうんじゃないかとか、座敷の奥にある北の間には怖いものが住んでいるんじゃないかとか、伽藍から何か除いていたらどうしようとか小さい頃は怖くて不思議だったなあ。

 

 

わたしの小さい頃はまだ関東でも冬にはよく雪が降って、ガラス窓の外に更に木でできた引き戸があってそれを引くと、一気に光が見えなくなったから少し怖かった。

でもどこから野犬が入ってきてしまった時は、ガラスを割られることも無くて、おばあちゃんが「大丈夫」と言ってるのがとても心強かった。

 

 

ある朝なんだけど、いつものように雪が降って、わたしがそれを見たいとねだって引き戸を開けてもらった時。

真っ暗から、真っ白の世界。

庭の木々がかぶった雪の間からところどころ枝を見せて、たまに雪を散らして鳥が飛んでいく。

寒かったけど、息を呑むような世界だった。

 

母が寒いから、と半纏と湯たんぽをもってきてくれて縁側でずっと雪を見ていたのを思い出す。

きっとあれが静の時間だったのだと思う。

 

そしてお昼寝をして、うとうとしていた時

たまたまだけど障子の下側が上にスライドして開く事に気づいた。

手で押さえていないと下にスカーンと落ちてしまうから、腕が疲れない程度に開けて狭い角度からほとほとと落ちる雪を見ていた。

 

それからしばらくして、わたしは6歳から18歳まで公文で勉強していたのだけれど。

国語と英語が好きで(数学は無理笑)小学2年生の時に古文を始めていた。

そこで、枕草子の一節「香炉峰の雪」に接した際、

あ、これお家にもあるやつだ。と何故か思ってしまった。

 

御簾を上げるという行為と

障子を上げるという行為がリンクしてしまったのでした。

 

あの時からわたしは雪見障子が好き。

実際に調べてみると、旧家にあったのは猫間障子なんだけど。

 

美しい景色を見るためにたくしあげる、という所作がとても好きになった。

 

という、経緯があるのと

木は軋むしシロアリとかの脅威もあるから大変だとは思うけど、いつか日本家屋と庭園をまた取り戻したいな、と思うのです。