うーん。な日。
恋愛はゲームみたいなものだった、と言いきる人がいて正直まじかーとめちゃくちゃ引いた。
わたし恋愛の先に結婚あるタイプなので一瞬ぎょええとなってしもうた。
ただ、ゲームではないにしろ楽しむことは大事だと思ったし、わたしの知ってるゲームの意味はせっまいから多分そう意味でもないのかもなーと思ったけど。
自分がいる天板がゲームだったらと思うとなんか人生ってばかばかしーとか思ってしまったなあ。上手いこと伝わらないものだし。どんなゲームか知らないけど、遊びで動かれる恋愛なんかゴミとしか思えないし、いまだに。
顔はそうなんですねーモテ男ー!、なんていいつつもすごい軽蔑とかしょーもないなーってどこか上から見てる自分がいたりする。まあきっと好奇心や興味はあるんだろうけど、とりあえず勝手に寂しく、つまらなくなってみて相手の嫌な部分また見つけてしまってストックしとくんだなー、
「このひと、こういうところあるから気をつけろステッカー」で懐は満杯だ。
自分に余裕あるときははいはーいってかわせても余裕なくって、ほかに泣けるようなチャンスを見つけられなかった時や、何かを回避したいとか逃げたくなった時にそういう人使うんだろうな。貯めたステッカーをこれでもかって出して「相手が悪いから、わたし泣きます」みたいななんとも根拠のふわっふわした涙。それこそやる気あるのか。みたいな。
責任感強いって、わたしそういやこれまでなんの責任とったかなあ。
大体親とか周りの人がうまくやってくれて、自分がとことん痛い目にあった時ってあったかな。いや、痛い目にあうために生きてるとは思わないんだけど、もしかして。もしかすると悲しいとかあれこれ考えるのがデフォルトなのかもしれないよね。標準状態:毒といったように。
だとしたら今のところの人生にも折り合いがつくなあ。
他の人はどうかしらないけど、 自分のなかでこれはクズだ、と思うことを人生3〜4回分してしまってる。過去はどーでもいいとか言いつつ、めちゃくちゃわたしのベースは過去だ。
過去のまんまこのまま結婚もなにも為さず、親が死んでみたらその先もまたずーっと縛られて生きるんだろうな。好んで。
ザ、無いものに縛られる余生笑笑
なんか小説になりそうだな。これは。
過去でもなんでも縛られないとひとりになってしまう気がするんだろうな。
哀しかろうが、苦しかろうがひとりぼっちの記憶よりもずっとずっといいんだ、きっと。
わたしはその時、周りに影響されながらも必死に考えた記憶があるから。そのときはわたしはわたしではじめて自分に呪文をかけることができたんだ。多分内容も理解せずに、
呪文をかけるって、いうこと、正しくはないものの自分で判断した、そのこと自体が新しくって、自分で初めてひとりでしたことだったから、気持ちよかったんだ。
はじめてのおつかい、もとい
はじめてのじゅもん。
誰の力を借りることなく、一人でできたこと。
それは自分のなかでは本物だし、裏切ることも傷つけられることもない一番やさしいというか自分にとって都合のいい感情。
それが悲しいだったのかもなあ。
かわいそう、かわいそうに。とは言ってもらえなかったけど
家族を一歩でて周りからみえてるわたしと
家族の中のわたしではまるで真逆だったのはもしかしたらほんとは役割を間違えて認識してしまった小さいわたしの勘違い、という名の思い込みなのかもしれない。だとしたら、仕方ないよね。
勘違いだった。間違ってたよ。でもいいよ、大丈夫だよ。わからなかったし、教えてもらわなかったし、聞かなかったからね。ただ、普通に縛られて悲しくなってみたり、寂しくなってみたら周りの反応がよかったからそれを続けてるだけでしょ。でも残念。大人は快楽を知ってるから、「かなしそうなひと」とかめんどくさいひとはほっておかれるよ。
一番好きな「言葉」というものに一番呪われてるなんてほんとにおもしろいね笑笑