洗礼

今日は

初めて出先で泣いてしまいそうだった。

 

 

で、

しょーもない愚痴を兄に言ったら

 

 

 

目的を見失うなよ。

言われた。

 

 

 

わたしはだいじに、丁寧に、可愛がられたい。

し、

ニコニコしてるひとと一緒にいたら

なんかそれで満足。

な人間なのだ。

 

 

 

たぶんそれを知ってる兄からは

お前の仕事は

だいじに

丁寧に

可愛がられる

ことでも

仲良しクラブでニコニコしてることでもねーよ、

って言われた

 

 

 

 

お前がいい、と思うものを

売れる、と思うものを

人の為に世に出したくて

社会に役に立ちたくて、沖縄に行ったくせに

甘えてんじゃねーよ

って叱咤された。

 

 

 

 

んなこと言ってんなら

さっさと帰ってきて

結婚して

適度に働いてろって言われた。

今回の沖縄でどんだけいろんな人に

覚悟させてんだてめーは、と怒られた。

 

 

 

 

 

人にだいじにされたかったら

やることやれ。

だいじにされること

ちやほやされることを仕事にすんなら

違う仕事にしろ。

 

 

 

 

お前の職務の目的を見失うな。

あーほーー

 

 

 

 

って、わたしより働いた経験がない兄にいわれた。

心底、悔しかったけど。

 

 

 

 

目的を失ってたとは思う。

仲良いメンツでばかり仕事をしようと思って

結果より先に人間関係を作ろうとしたわたしがいる。

 

 

 

 

仕事だ。仕事。

しかもわたしはお金が欲しいし、

できることなら人から頼られる人間になりたい。

から、

結果ださないと。

至極当たり前のことかもしれん。

 

 

 

 

ただ、自分のベースは変えない。

 

ひとをだいじに。

丁寧に。

 

 

 

 

でもそれをやってもらおうと期待しないようにしよう。

 

 

 

 

期待は

側面を変えると奪うことになっちゃうかもだし。

 

 

 

 

仕事の目的

わたしの目的

 

 

 

 

たまには相談してみるのもいいものだなあと思った

感覚を証明せよ、とのこと。

 

よくわからないけど

昔から

良いもの。がよくわかった。

 

 

それはパッケージとか

中身とかではなくて

 

 

なんとなく、いいもの。

 

 

大抵のそれらは

よっぽどの事がない限りは

表によく出てきて、コラボレーションや改定されながら長くブランドを保ってきている。

 

 

 

わたしのそれはただの感覚。

何かに裏打ちされたくない、

できない

ものだったはずなんだけど。

 

 

 

最近はその

わたしの感覚を証明せよ、という仕事に就いているものだから。

非常に苦しい。

 

 

 

感覚は感覚だし

言葉は言葉

そのままを受け入れてきてしまったが故に

自分の感覚に対してだけは

なぜ?と思った事がなかった。

 

 

 

時折勝手に話している時があるけど

頭なんか追いつかなくて

ただ、そのまま話してしまってる。

 

 

 

それはなかなか怖い事なんだけど

あんまり覚えてなかったりするからか、何かを失った気にはならない。

 

 

 

ただ理由はわからない。

いいな、とおもってること

いやだ、とおもってること

にはどんな違いがあるんだろうか。

 

 

 

感覚を証明するには何が必要なのさ。

永遠は結果、もしくは 決断

だと思うの。

 

 

二度と会えなくても

永遠に思い続ける人は1人だけなんだけど

それはもう

そう決めた、から

私の中で

永遠、と言える。

 

 

けど、

永遠、と決めた最中で

例えば終わってしまった時

つまり未完成で終わりの時も

完成させることができないから

永遠にそれは終わる事がない。

それも永遠。

 

 

だれかひとりの中でもいいから

ずっと続いていくなにか。

それが永遠なのかもって。 

結果の連続が現実。

現実をつくるのは人の決意だと思う。

 

 

だから

永遠は結果、もしくは決断なのかもって。

 

 

時の流れが可視化できたら、

わたしの時間は何色で、

2人で混ざったらどんな色になるんだろう。

 

こころが繋がってたら

距離なんて関係なく、重なるのだろうか。 

 

  

あなたは朱色

わたしは藍色

わたしたちは。

 

f:id:realme6:20170926232440j:image

 

自分のほんとうの気持ちをいってしまうと

 

わたしはきっと一般的には

悪い人なんだとおもう。

そして冷たい。

 

 

良くしたい、とおもうことは

悪い、とわかっていることがあるからで。

 

幸せになりたいけど

こんなわたしはそうあってはいけないような

幸せだと、かまってもらえない気がして

つい、悲しい苦しい方を選んでみたりする

 

 

そして

みんなにやってあげられないことを

ひとりにするのってなんか違う気がしてならない

 

 

さらに

やってもらったら

やってかえさないと

だめな気がして、その重荷がきらいだから

人に頼むのってほんとにいやだ。

 

 

 

あと、

さみしい。

誰かに抱きしめられて眠りたい。

その誰かは結局だれでも、ではないのだけれど

 

たったひとりを思い浮かべるわけではないところに

薄情さを感じる

好きなひと、に好きになってほしいんだと、そう思った。

無理だとおもうけど。

 

 

何度も何度もきっと死んで生まれて死んで生まれて

その結果にいつか

今のわたしが理想としてる人生があるなら

なんて

仕事楽しいなーって3〜4ミリ思い始めた頃に逃げ出そうとする悪いクセだ。

 

 

できることなら

闘いたくない。

から

譲る

逃げるんだ。

 

 

徹底的な一番を目指してこなかったが故の

この自信と勇気のなさ。

 

 

ほんと、今日は気持ちが落っこちてるなあ。 

どしたんだろう。

 

 

しのごの言わずに

さっさと結婚してしまいたい。

安心したい。

嘘。

結婚と安心は比例しない。から、

単純に、安心したいの。

 

 

大事にしてもらう現実が怖すぎる。

いつか消えてしまった時、どうしたらいいかわからないもの。

おんなじ人間だよ。

芸能人と

一般人と呼ばれてる人の

からだ

とか

目に見えてることとか

機能的になにも変わらないのになーとか思った。

 

 

セレーナゴメスの腎臓と

わたしの腎臓は

それだけ取り出してしまえば価値は変わらないのに

ブランドってなんだろうって思った。

 

 

かっこいいスーツ、髪型

メイク

をしたら

ホームレスだって年収2000万のIT企業社長に見えてしまうのに。

 

 

そのひとの持つ本質って

どうやって価値を知る事ができるんだろう。

 

 

なんか、仕事で悔しい事があったから

気を紛らわせようとしてこんなことを考えます。

 

 

 

こわいきもち

現実が近づいてきて

とても怖くなってる。

 

 

車は運転できるのか

お金間に合うのか

ひとりで生きていけるのか

寂しくて死なないか

 

 

でも、なんとかする。

から

なんとかしようと思う。

 

 

ひとりだけど

ひとりじゃない

 

 

いちばん怖いことは

自分はひとりだ、と思い込むことで

それが本当にそう見えてきてしまうこと

 

 

それを超えたら

ひとりを

超えたら

わたしはきっと大丈夫。

 

 

超えるし。

 

 

だめだったら、

泣こう

わめこう

でも

がんばろう。

 

 

負けない

勝たない

ただ、生きるってことの素晴らしさを知ろう。

それがいいと思う。