ゆうがた、あなたがすきです。

 

英文会計の勉強がひと段落して

すこしうとうとしたから

横になったけれど

ゆうがたの風、とかよわいオレンジかかった光が心地よかったからなのか

うつ伏せになりながら

 

すきです。

 

と声にだしてしまったら

涙が止まらなくて

ああ、またなにかのヒロインごっこしちゃったなあって茶化さないと直視できない

きもちが、なんらかのスイッチを押されてわたしの中で暴れたりする

 

いつもはなんだかこう、はいはい、わたしの勝手な妄想の中でさらに片思いしてるだけなんだからね、と言い聞かせれば、そうだよねえ、って小さく端っこにおさまってくれるくせに

 

今日はどうしたんだろうね

美味しいものも食べて

行きたくない、と思ったものをちゃんと断って

すきなことを勉強して

お昼寝までしたのに

こんなに噛み付かれて揺さぶられて

どうにか、してください!!!って凄まれてる

 

どうにかできたらしてる!って

いえるどころか、わたしはただ

ごめんなさい、ってへらへらしてるだけだ

 

今日お昼寝したから夜寝れるかな…

いつも考えてしまう。

寝るときや、起きる時だけではなく

常に。

この文章、発する言葉、

いまここにいらしたら、なんと思われることか。など。

わたしのお部屋も、寝方も、すべて

なんでこんなに好きなのに、わたしはなにもできないのかしらとか、

いまの老けた顔をお見せするなんてとんでもないとか、こんな人間性ではとてもではないけど、お目にかかれないとか。

わたしは到底あのひとの理想からはほど遠く、

まだお会いできるまで、お話できるまで

あと何年かけてどこまでいったらいいのだろう

10年の差は全くもって埋まることはないのでしょうけど、それでもあの人にとって必要な人間でありたい。

その為にはなにをしたらいいんだろう。

片端から占いをしらみつぶしにしていっても、結局本音はわからない。

ただ、ただ有事の際のお役に立てればそれで良い。

おそばにいきたい。

 

時折自分の思考にうんざりすることがある

けども、そう考えた方が自分に都合がいいと分かってるから不思議なもので

悲劇のヒロインになろうと

自分がのたれ死んだ方がいいとか思おうと

きっと誰にも手を引かれずに終わっていくとか

しょせん、こんなわたしはダメであって

とか色々出てきてしまう

これがはたしてどう都合がいいのかがわからない

だからこそここに思考の深い渦が降りているんだと思う

きっと小さい頃から徐々に円周を広くして

わたしの中に深く深く根ざして

見方を強制してきたはず

だって幼いころはそれしか知らない、それが全世界だと思うから、そう思うことは仕方ないんだ

けれどもう、

わたしは誰かと一緒にいたい

それはまるで、疑いようのない関係

どうでもいいとか、あきらめとか、期待もない

ただ、相手がいてくれている、

そしてわたしもいる

それだけの安心感

基本ができている安定感

それだけでいい

もう何度も言っているけど、わたしはひとりの人に尽くしたい、添い遂げたい

それがいい

そうしたいんだ

だからそれをさせてくれるひと

わたしがそうしたいとおもうひと

その人と居たい

不安感ではなくて単純なすきだけで

現実も理想もなにもかも実現してみせる

その相手だけ

そんな相手にはきっともう疑いとか不安とか

わたしを不幸にするかもしれないなんて

そんなことは意味をなさないんだよきっと

一緒にいれる時点でわたしは不幸にはならない

し、わたしがわたし自身の気持ちを疑わない限り、相手からの気持ちを疑うことなんてない

不安になんかならない

そういうもんだ、

そんなひとをかれこれずっとずっと好きでいるけどわたしはとても怖がりで、

自分が傷つくのが怖くて、自分がかわいいからね、そのひとの為に自分をなげうたなかったからいまがきっとこんなん

べつに振られてもいい、一緒にいれたらよかったのになあ

考えても考えても動かないから変わるわけはないんだけどさ。

ふと

 

夢のような毎日を送ってしまったら

わたしはきっといつか狂ってしまうのかなとおもう

 

作家でもないのにそれらしく見せようとしても滑稽だよ、と言われたけど

作家はもとから作家という肩書きではなかった

ただ、気質は最初から作家だったと思うし

 

正直朝からすごーく変な気分だなあ笑

独占欲

 

これは自分だけのものであってほしい、

という感覚を

人に対してではなく

自分の感性に対して強く願ってしまった。

 

よくも、わるくも。

 

これは自分だけのもの。

 

そうでなければ、

わたしがわたしである必要もなし。

あいやー

FBにしょーもないこと投稿してしまったなあ。

 

富裕層ってそもそもマーケット上で区分するためだけの名前だしなあ。

 

よくよく考えれば

買える桁が違うけどみんな好きなもの買ってる

 

わたしは全然富裕層じゃないからわからないけど

多分、お金がある人が物を買うとき

美しいものや、価値が高いものを買うとき

きっと出す金額以上に価値を感じるから買うんだと思った

 

急遽必要

なんとなく必要

時間を楽しむために必要

豊かな気持ちになるために必要

誰かに喜んでもらいたいから必要

見栄のために必要

 

 

必要な理由はいくらでもある

けど

 

とにかく

楽しむ余裕がある

 

楽しむというのは

享楽的でもいいし、情緒的でもいいし

芸術的でもなんでもいいんだけど

それを楽しむ方法を知ってる

ほかの人より、それを知ってるし

レベルの高いものをしってるから

綺麗とか、楽しいーだけじゃなくて

なんかその人自身の中で深まる、味わうことができる

そんなかんじ。

 

今はそんなこともないかもしれないけど

周りにいた富裕層の方が教養の高い方がおおいのはうなづける気がする。

 

知ってるから楽しめる

好きだから知ってる

深まる

もっと新しい知識が入って

さらに自分の感性も相まって

作り手を置いてきぼりにしない

感動や、思いの層が増える

 

それって人生でとても素敵なことだなあと

わたしは思う

 

いろんなものを見るために生まれたと今は思ってる。

だから、ある意味自分が遠目にしか見てこなかった世界を今形だけでも知ろうとしてることにワクワクしてる

だってわたしはホンモノにもなれなければニセモノでもない。

ただの庶民だからだ。笑笑

富裕層にはきっとなれないし、いっても年収1200万が関の山。

かといって、「富裕層」を目指さないから、ニセモノにもならん。

庶民の情緒なめんな。(脱線)

 

でもお金持ってる人たちが何を欲しいかって

すごーい気になるし、きっとめちゃくちゃ勉強になるはずさ!

そういう人の感性は想像を軽く凌駕するんだろうな。楽しみ!