時折自分の思考にうんざりすることがある

けども、そう考えた方が自分に都合がいいと分かってるから不思議なもので

悲劇のヒロインになろうと

自分がのたれ死んだ方がいいとか思おうと

きっと誰にも手を引かれずに終わっていくとか

しょせん、こんなわたしはダメであって

とか色々出てきてしまう

これがはたしてどう都合がいいのかがわからない

だからこそここに思考の深い渦が降りているんだと思う

きっと小さい頃から徐々に円周を広くして

わたしの中に深く深く根ざして

見方を強制してきたはず

だって幼いころはそれしか知らない、それが全世界だと思うから、そう思うことは仕方ないんだ

けれどもう、

わたしは誰かと一緒にいたい

それはまるで、疑いようのない関係

どうでもいいとか、あきらめとか、期待もない

ただ、相手がいてくれている、

そしてわたしもいる

それだけの安心感

基本ができている安定感

それだけでいい

もう何度も言っているけど、わたしはひとりの人に尽くしたい、添い遂げたい

それがいい

そうしたいんだ

だからそれをさせてくれるひと

わたしがそうしたいとおもうひと

その人と居たい

不安感ではなくて単純なすきだけで

現実も理想もなにもかも実現してみせる

その相手だけ

そんな相手にはきっともう疑いとか不安とか

わたしを不幸にするかもしれないなんて

そんなことは意味をなさないんだよきっと

一緒にいれる時点でわたしは不幸にはならない

し、わたしがわたし自身の気持ちを疑わない限り、相手からの気持ちを疑うことなんてない

不安になんかならない

そういうもんだ、

そんなひとをかれこれずっとずっと好きでいるけどわたしはとても怖がりで、

自分が傷つくのが怖くて、自分がかわいいからね、そのひとの為に自分をなげうたなかったからいまがきっとこんなん

べつに振られてもいい、一緒にいれたらよかったのになあ

考えても考えても動かないから変わるわけはないんだけどさ。