居場所

 

人が争うのって、

居場所のせめぎ合いなのかも。

 

 

自分はここにいたらいけないのかっていう

不安がそうさせるきがする

 

 

だってここにいたいからだ。

それはなんでだ?

という問いの答えに、自分の核があると

そう思う

 

 

ただ、結局のところ

自分の居場所は自分の中にしか見出せない

のに、外に作ろうとするからしんどいのかな

 

 

そしてわかったことは

相手の気持ちを推し量ったつもりでいて

自分の考えられる範囲なんてたかが知れてる

だとしたら

誰かの「きっと」によりかかるんじゃなくて

自分の「これだ」を大事にしたい

 

 

誰かに対して誠実であるということは

違う面からみたら不誠実にみえる

もはや  理由は別として信じることができるのは

すき、きらい、という得体のしれない感情だけなのかもしれない。