考えてもみなさい

あなた、年を食ってヨボヨボになって

その時にひとりぼっちなんて

なんて寂しい、みじめったらしい。

ひとりぼっちとあなたが思う人は、あなたが思うほど孤独ではないことを知ってるか。

そうやって、「みじめで可愛そうなひと」がいるからようやく保てている自我の方が問題だとなぜ疑わないのだろう。

人は人、とどこかのコラムから引用してきた誰かの言葉を何度も反芻することで、あたかも自分の思いだとすり替えたくせに、表面的なのは相変わらずだ。あなたは。

受話器の先で

結婚した自分、先に生まれた自分の方が優れているのかということをこれでもかとわからせたいのだろうけど、

同じ水平線にいる人のことは、貧富の差だろうと長短の差だろうと、何とも思わないんだよ、わたしは。

誰に対しても上だとか下だとかはない。

そんなもの作るからしんどくなるくせに、それをまだ娘に負わせようとしてるのか。

経験はただの時間の使い方の差だけであって、

やろうと思えば誰でもできる上に、同じものはひとつとしてないのになぜそんなに同じ轍を踏まそうとするんだろうか。

あなたは幸せだったか?

あなたは望んでそうしたのか?

死んだ時にわかるとか、死ぬ前からわかるだろうそんなもの。

振り返ってみて幸せだったか、そうじゃなかったかなんてそもそも必要なのか?

しあわせってなんなんだ?

なんの成分の分泌?

どういう脳の仕組み?

淡々と進んでいく中では私の心は動かないから、動かしてくれる人と一緒にいたいのに

それでは「幸せ」になれないって、なんなのだろうか。

文を書くために、感情や感覚や感性はあるんじゃないのか。

 

目的がある愛は愛情じゃないのかな。