何時か。

いつか。

 

家族ができるときがきたとして。

「家族だから、抱けない。」と言われてしまったらどうしよう、と思う。

家族には性欲がわかないの、わかる。

一番好きだから、抱いてほしいと思うし

そばにいたいと思うのに。

この間先輩のその話を聞いてしまって

とても怖くなってしまった。

家族ってなんなのだろうか。

夫婦は一生夫婦ではないのかな。

家族になってしまったら、相手には欲情できなくなるのかな。

夫婦が、家族に変わる瞬間ってなんだろう。

 

だいすきの先に性欲があると思ってたわたしは

そういう夫婦の形もあると知って

とても怖くなってしまった。

名前

 

年に何度かしかない、あなたと会える時間に

名前をつけたいな。とおもった。ふとね。

 

名前があるものはなんとなく特別というか、

際立ってるから。

ほかのひとでは感じえない時間の流れやさみしさと、いとおしさをひっくるめて何かひとつの名前にしたいな。

 

なんておもったのよ。

ぜんてー

わたしがあなたの嫌いな所作をしようと、

言葉を使おうと、なんだろうと

あなたのことが好きで好きで仕方ないのだという前提をどうか覚えていてほしい。

 

間違った言葉を使っても

察することができなくっても

あなたを不快にしたくてしたわけじゃない。

そんなことできるわけがない。

 

ただ、それだけなのだ。

好きなのだ。

嫌なきもちにしたくない。

だいすきなのだ。

だいすきだけど、まだ理解してないから

間違うことあるけど、よろしくね。

夕寝。

の後に気づいてしまった。

わたしは、なんだか、

わたしが在りたかったように居られなかったのが一番苦しかったんだ。

自分の内の乱暴さも知っているから、少しでも丁寧にいたかった。

でも言葉ひとつとっても

壁がある、

本音を言わない

なんて言われてしまって

丁寧に振舞うことが、本音を隠していると捉えられてしまうのはとても嫌だったから

なんとなく周りに合わせてふざけたような、乱雑な言葉や、思いもしてない、だれかが使ったような本音に見えるようなことを言ってみたり。

そうしたら、どうだろうか

幾らもない時間に対して使う言葉が自分を苦しめていることに気づいてしまった。

本音イコール、ダークだってだれが決めたんだろう。

本音イコール辛辣な言葉で表されるって、なんでわたしはそんなこと思ったのかな。

 

傷つきたくなくて、放った言葉はいくらでもあったけど

人を傷つけたくて言った言葉なんて、何もない

 

人を刺すような言葉を使うたび

これじゃあない、よね?

って確認しながら、本当に伝えたいことが見えなくなって

本音がでまかせにすり替えられるのも分からなくなって

だから人と話すのが怖くなってしまった

優しい言葉や、人を気遣うきもち、手伝いたいというのが嘘のきもちだって、なんでそれを信じてしまったんだろう

 

しゃんとした姿勢や、電話対応での言葉遣いの綺麗さや、思いやりたいきもちを

外ヅラと言われてしまうのが苦しくなってしまった。

そこから逃げた結果なのかもしれないなあ。

 

 

 

生きなきゃいけない、という概念は

何のためにつくられたのかなーって

ぼーっと近所を歩きながら思ってた。

 

人がいないと、沢山建ってる家はただの背景で

そもそも生きてたのって草とか木とか、自然だったんだよなあ

もしかしたら生き物や草木が生きてるのを見て美しいって思ったひとがいたかもしれない。

そんで、ああいうふうに、生きたいなっておもったのかなあなんて思う。人間も動物やし。

 

で、人間が大量に死ぬ時って

戦争か、自然災害よね。

戦争も、結局金になる自然資源とかが埋まってる領域の取り合いとか、

自然を殺してきて、自然の為に死んでいくって考えるとすさまじい構図だなあなんて思った

 

こうやって

成したいことも成せることもさして思い当たらないのに、どうして生きていなくてはいけないのかって思った時、だいじなものなくなってしまったんだ、ってすこし悲しくなった。

 

悲しくなりたかったのかなって、考えてみたけど、それもよくわからない。

 

ただ、なんか、人が生きる感じしない家ばっかり見ながら

25分歩いて思ってたら、生きるってなんなんだとか、生活っていうけど、なんのために生きなきゃいけないのかとか、

人って支え合ってるとかいうけど、ほんとは依存しなわないと生きていけないんじゃないかとか、とりあえず考えたいことをたくさん考えてモナ王食べてた。

抹茶は好きだ。