おじいちゃん

おじいちゃんの命日が近くなってくると

思いだす

 

おじいちゃんの口癖。

 

「貧乏人は嫌いだ。」

 

むかしはすごく嫌だった。

心が貧しいひとなんだなあと思った。

実際寂しかったと思うけど。

 

おじいちゃんはとてもおしゃれで

上品な、淡い色が好きで

とても乱暴で、感情の起伏が激しかった。

 

この間ふと思い出したことがあって

 

おじいちゃんはそういえばバツ1なのでした。

 

最初の奥さんはとても器量がよくて

綺麗で、優しいひとだった、と言ってた。

だけど、奥さんの弟の友人が牛泥棒をした時にたまたまその弟も現場に居て、

一瞬でわたしのひいおばあちゃんはおじいちゃんの奥さんを有無を言わさず追い出した。

日記では、奥さんの弟は成績も優秀で、毎日実家の野菜作りを手伝う優しいひとだったみたい。

言い分では「ここに立ってるだけでいい」と牛泥棒をした人に唆された、と書いてあったけど

ひいおばあちゃんは絶対に許さなかったと。

 

おじいちゃんは、とても奥さんを愛していたから

駆け落ちも考えたけれど、当時の長男の責任とか、母親の言う事に逆らう自信もなく、相手をなおも苦労させるならと、2日半ご飯に手をつけずに考えて、最後は奥さんの荷物を片付けるのを泣きながら手伝ったそうです。

 

その後おじいちゃんは陸軍として戦争に行くんだけど、

何故、人は奪わねば生きていけぬのか。

としょっちゅう考えてたみたいです。

昨日隣で朝ごはんを食べてた同期が、

朝、宿舎横の川のほとりで上官に殺されたのを見たり、

「演習」と言って人を刺したり

同期が自殺をしたり

頭の狂いそうな日々が続いた。

 

で、辿り着いたのが。

 

足りないひとが、奪うんだ

ってこと

 

ものを

お金を

時間を

命を

大事にしてるものを

 

人から奪うのはいつでも足りないひとだ

 

戦争があった手前、

物質的な部分にみんなフォーカスした。

戦時中に自分と向き合いすぎて、

おじいちゃんはある意味極限の中で一生変わることのないものを見つけてしまった。

 

足りない、貧しい、ひとは、悪になる。

ということ。

 

 

そこで、自分が満たされるかとか

自分で自分を思いやってあげよう、とか思えたわけではなさそうで

 

 

前の奥さんに比べて貧しいお家の現おばあちゃんには異様に冷たかった。

ほんとにありえないくらい冷酷。

裕子は間近でほんとにびびってた。

こわすぎるの、ほんとに!

 

 

でもおじいちゃんは、怖かったんだなあって

最近思う。

また何か失うんじゃないか、って。

しかも自分の奥さんが、自分から大事なものを奪っていくんじゃないのかって。

そんな風になるなら、いなくてもいい、と

おじいちゃんはおばあちゃんにひどく当たった。

殴ったり、鉈で切りかかったこともあって、

わたしのお父さんが発狂しかけたのをお兄ちゃんと止めた覚えがある。

 

 

だけど

おじいちゃんが亡くなった日、

死化粧をし終わった後におばあちゃんが

おじいちゃんに

「おじいさん、よかったねえ、綺麗にしてもらって。」

とおじいちゃんの肩をポンポンと叩いて涙を流していたのを見て、

おじいちゃんは、

心が貧しくって、寂しくって、どうしようもなかったんだ。っていうのに気付いた。

 

おじいちゃんにとって

豊かさはほんとはお金ではなかった。

だって最初からあったから、それは当たり前だもの

だけどずっと前に奪われたなにかは戻らないから

それを埋めようと

色々してたら、わけわからなくなっちゃったんだな、って。

 

亡くなる2ヶ月くらい前に

「自らの言動を恥じてしまうが、抑えきれない虚しさを覚えるのが怖い。早く弟(おじいちゃんには2人弟がいる。2人とも随分前に亡くなってる)の元に寄りたい」

と書かれていて。

 

はあーーーとしか、出なかった。

あと涙。

 

 

おじいちゃんを見て

わたしは小さい頃「おじいちゃんみたいにはなりたくない」と思った

 

けど、

 

今はとてもわかることが多い

 

貧しいひとが

他の人から奪う、っていう言葉はほんとにそうだ

 

奪うっていうのは

盗んだり、とかそういうことだけじゃなくて

 

自分がいい立場になる為に

嘘をついたり、

人の気持ちを平気で踏みにじることもそうなんだ

 

自分が過去にやってしまったから

本当にわかる。

お金はあっても、貧しかった。

寂しかったなあ。だから何かで埋めなきゃ、すごくならなきゃってそう思った。

 

でも、

今は

わたしのプライオリティはお金ではないのです、

信頼

なんだと思う

信頼ってどういうものかは、まだわからないけど

少しずつ積み上げていきたいとそう思います。

 

お父さんが

裕子とつけたのにはちゃんと意味があって

裕は

豊かな子に、柔らかく、穏やかな子になってほしいとそう願ってつけてくれた。

 

ゆ るして

う けいれて

こ うていする

 

もちろん、生活にはお金が必要だから

仕事はちゃんとしますけれど。

 

少しのものでも豊かになれる、

そんな自分になりたいな。

多いからいい、とか少ないからだめ、ではなく

 

おじいちゃんがなくしちゃったものをわたしが取り戻せたら、なんかいいなあ。

三世代に渡っての親孝行な気がする。

 

豊かな気持ちになれることをたくさんしよう。

豊かな気持ちにたくさんなろう。

豊かな気持ちを受け取れる自分になろう。

 

なんか、ふと、そう思ったのでした。

 

おじいちゃんの命日は4.11

わたしは4/7〜9まで東京戻るから、お墓詣り行こう。