言葉と文化

 

言葉っていうのは表面的な部分じゃなくて 

心理的というか、感覚的?精神的な部分なんだけど

おそらくお国柄によっては

それぞれの人が発する言葉の心理的距離、(うーんと、行間みたいなもの。

うまくいえないんだけど)

が限りなく近い国ってどこなんだろう。

 

条件はaとb,これが揃ったら 純然たる愛、

条件はaとcと少しのd,だとしたら独占欲丸出しの厳愛、

条件eとxなら不埒だけど、やめられない愛

とか。

 

(定義づけは、無理かあ)

 

発する時、込められる思いがどのくらいならこの言葉!とかみんなが生まれながらにわかってるっていうか。そんなのがわかりやすい言葉を学びたいなあと思ったのだ。

 

 

そういう意味だと、本当に本当に日本語は繊細で奥が深すぎて、底に手が届くどころではないね。

なにもかも隠すのが美しいという考えなのなら

本来の美しさって目には見えないもの、ということにならないかな、日本人。

誰もほんとは知らない。とか、素敵。

 

 

だとしたら、ほんとに美しいものってなんだろう

本当に誰もまだ知らないのかもしれない。

内に秘めてるなにかしら、が美しいのかなあ

どこでそれを垣間見るのだろう

表に出てる全てに裏はきっとあるけど

その裏が美しいのか、はたまた「裏の裏の表」が美しいのか

 

なんなのかなあ。

 

 

さっき東京に戻ってきて、まず思ったのはそれだった。

 

 

お姫さまのように美しい見た目のCAさんから酸のような言葉を聴くと、

あー、期待しちゃったなあ、なんて少し反省。

 

 

全部全部綺麗でいてほしいんだよなあ。

余すところなく