だれかのためにという名の自分のためかとおもいきや、だれのためでもない

自分でもどうしたらいいかわからないことって相手も受け取れないのはわかる。

ただ、その時投げたボールは一体どこにあるんだろうか。まず、相手とわたしの真ん中にあることはないかなと感じる。

わたしはそれをボールだと認識はできるんだけど、投げた先にいたはずの人をもう見失って、ボールが落ちてるのを遠くから見てるだけだ。しかも過去に囚われてるから、喜んで投げたあと、どこかにてんてーんっと、ひとり転がっていくボールのシーンばかりが見えていく。

過去の気持ちと書かれたボールは、なんか触るのも連れ戻すのも、あまつさえ壊してしまうなんてこともできないけど、そこに存在だけはしている。

もしかしたら、見えてないだけで、ボールの近くにいて欲しい人はいるのかもしれないし、

わたしのボールを探し回ってるひともいるかもしれないし、そこに人はいるんだけどわたしのボールを見ないようにしてるのかもしれない。

なんにせよ、わたしのボールはまだある。

ただ、こうすべき、とか恥ずかしいとか、傷つきたくないっていう壁を作ってはそれに触らないように、触りたくなくなるような理由を作り出しているのもたしか。

 

簡単なことをいうのであれば

もう散々傷ついたから、もう傷つかないはずなのにまだ傷つくことができる余裕をもってることでなんらかの評価を得たいんだなあ。

いや、別にいいんだけどね。それはそれで。

男性性のわたしは悉くわたしを滅多刺しにして、名誉の勲章ばりに傷つけては立ち上がれー!って叩いてくるし

女性性のわたしは男性性のわたしを強く軽蔑して、「こんな筋肉バカはうまく操ってやろう」と画策してる。

ただ裏を返せば女性性が、耐えられないところを男性性でカバーしてるだけかもしれないし、

わたしの女性性は実は男性性よりも精神的に強かったりするし。本来は支え合って融合して調和してるはずなんだけど最近は特にバランスが不思議な状態。

かといってどうにかすることもまだかんがえてないのだけれど。

 

ひとを好きになりたいなあ。