いろんな勘違い

今日先輩(というか年上の友達)の愚痴を聞いて

聞いてくれてありがと!って最後に言ってもらえたのよかったな〜

 

 

明日からまた元気になるなら

いくらでも聞くよ〜!って思った。

 

 

いままでと違うのは

あんまり変に感情を揺さぶられなくなったこと。

マイナスな感情にひきずられやすいから、聞かないようにしてたんだけど

でも、

勝手に話し出す、ってことは聞いて欲しいんだなーと思って

最後まで聞く、そーすると勝手に終わるし、

勝手に納得するし、勝手に反省したりして、

勝手に解決してる

 

聞いてるけど

自分の中に目的を使っちゃってる自分がいる

ゴールは相手が自身の気持ちを自分で解決してくれること

だけど

相手の考え方がわからないからまずそれをずーっと聞く

できるだけ

相手の言葉を使って相槌うつ。

自分の感情とか言葉を使ったが最後、

話がわからんくなるもの。

 

どんな気持ちで怒って、どんな言葉をかけられたかったのかとか、

人によってほんとに様々。

 

が、

わたしは

聞いてくれるひとには

愚痴とか、弱音を吐いてもいいと知った

言わせてもらって、何度も元気になった。

前よりだいぶ、ものの捉え方がかわった。

それはこういう弱いとこがあるわたしを許して、って相手も巻き込んで許す行為なのかもしれない。

 

 

それを知ったいま

わたしに愚痴や弱音を吐いてくる人は

元気が欲しいひと、もしくはなにかしら解決して成長したいひとなんだなあ、

と思うようになったから、できる限り応援したいな、と思って聞いてる。

 

前まではなんか、感化されやすいわたしになんでそんなこと言ってくるの?

とか、わたしに関係ない嫌なこといってくるなー、この人が嫌だな、とか思ってたけど

 

今は

きたーーーー(*´꒳`*)

って思う。

ひとに愚痴を話してるけど、あれはほとんど自分との会話なんだと思う。

巻き込まれて前まで嫌な気持ちになってたのはわたしの都合だったという。

 

 

時間がないときはもちろん聞かないけど、

余裕がある時は

ゆるーく聞く。

よく「時間を無駄にしてる」とか言われるけど

わたしはきっとそういうのが好きなんだよ、

前、助けてもらって自分がいい感じになったのをみて喜んでくれた人がいて、

それを見て、傲慢なのかもしれないけど

関わったひとが私と会ったことで少しでも楽しい気持ちになってくれたらいいな、と、いまは思うし

勝手に自己満足してる。

 

知らないことはたくさんあった。

でもいろんな人たちに教えてもらってなんとか。

 

周りの人たちが楽しければきっとわたしも楽しい 

そう思った。

から愚痴や弱音は吐いてもいいんだよ。

自分を責める為じゃなくて

許す、受け入れるために使うならいいと思う。

 

と今日爽やかに去っていった先輩を見て思ったのでした〜

いやー、日々是成長ですな〜