運命の恋と 現実の恋

運命の、とつけるとやたら

理想や、夢や、なんかふわっとした、そんなものに見えてしまうけど。

 

 

 

 

運命=現実

なのかもしれない。

 

 

 

 

こうなる運命だった、

というのは

もう見えている事実、つまり現実を指して述べるのであって

そこにドラマティックさを表したいが故に、

運命の。

っていうのをつけるのかもしれないなって。

 

 

 

わたしは永遠はないと、そう思ってるから。

だから

ひと時の心の向かう方向を疑わずに行ってしまう。

 

 

 

 

ただ。

現実をドラマティック、ロマンティックにしたい気持ちは往々にしてある。

それはもはや、実生活の中に生まれた余裕の中での演出にすぎないかもしれない。

 

 

 

だとしたら

運命、を謳歌するのは非常に簡単で

現実を自分で行動して作っていけばいい。

 

そんな作為的なものが運命と呼べるか、というひとはそう思ってるんだから、このブログを読まずに自分の考えをノートにでも書いててください。

 

予期できない、思いもよらないことが運命だというならば

それは

一種の諦めと

もうひとつは、揺るがないつよさ

なんだと思う。

 

 

 

 

わたしは

富と名声と名誉と愛を全て手に入れられる運命だと聞いた。

 

 

 

その実感はあんまりないけど

そうなら、そういう風に動いていくと思うので、

結局、現実=運命

なんだと思うんだ。