政略結婚の逆パターン。

お金持ちの令嬢

没落貴族の令息

でも男性→女性には愛がないけど、

家の為に離婚はできない。

そんな時に出会った一般市民の女子

愛人でも妾でもなんなら使用人でもいいと縋る女子に心から愛する女に二番目になれと言わせないでくれ、と泣く男性。

オチが見えない笑笑

 

裏切られたーって思うことあるけど

 

その人の人生とか人格って

わたしただ1人にフォーカスしてるわけじゃないから

裏切られたとか思ってんの、こっちだけなんだなあ。

 

なんでもあり、は

なんでもなしと同意だけど

 

相手の行動にいちいち意味くっつけて

よろこんだり、傷ついたりするのはこっちの勝手なんだよなあ。

 

人生を選び直す時期に来てる気がする。

 

とりあえず

良い家庭

をつくることを目標に、新しい人生を作る準備をしようと思う。

 

もう、こころの中が愛おしいという気持ちで余りなくいっぱいで、それでも慕情は微細もお伝えしてはいけない身分でしたから、どこからも漏れないように必死に目を閉じたのです。

そのときに熱なのか、こころなのかわかりませんがひとすじひとすじと目から涙がつたうのです。

本来のこころが晒したものを止めることなどできるわけもなく、閉じたはずの瞼の縁を走って、落ちていく涙がただ頰を濡らしていくのをせめて赦してほしいと願うばかりでした。

 

 

なんかふと。

身分違いの恋愛を思いついた。

いつもワンシーンから始まるなあ。

 

お互い想い合っていて、密かに体も重ねてるのに、お互いに好き、と伝えたことない2人で、

ある時どちらかが結婚することになって片方が最後まで言えないまま、好き、の代わりに涙を流すっていうシーン。

もうぜんぶF●CK

 

わたしの性格はクソである。

なんならわかってたけど

クソだなあ。

思考も習慣も人生もクソである。

笑っても怒ってもクソである。

人を傷つけてもクソだし、

人を救ってもクソである。

何かしてもしなくてもクソである。

どんなに綺麗な言葉を使っても

ありえないくらい汚い言葉を使ってもクソである。

痩せてもクソだし太ってもクソだし、なんならモデルになっても、直木賞とっても、神さまと呼ばれてもクソなのだ。

なんでか。

わたしがそう思ってきたからだ。

なにをやっても、なにを言ってもなんだかんだでクソみたいな結末ばかりだ。それが私のクソみたいな人生だって。

クソなわたしがそう決めたのだ。

この思考もやっぱりクソだ。クソだから仕方ないか。あークソ。

なんだったらいいのか。

クソな理由を解消するために何かをやる、とかじゃなくて

自分の人生を、クソだと決めつけてるクソな思考を捨てたらいいのかもしれない。

お金持ちにならないといけない

綺麗でい続けないといけない

結婚して愛されなきゃいけない

社会的に偉くならなきゃいけない

人の悪口は言っちゃいけない

いい子でいなきゃいけない

生きていなきゃいけない

真面目に仕事して、何か残さなきゃいけない

続けなきゃいけない

人のためになることをしなきゃいけない

何かを得るのに努力と苦労をしなきゃいけない

どうせクソなのなら、こんなのどうだっていいはずだ。

 

ボブデミミッミくらいクソなはずだ。

以下クソ=ボブデミミッミ

 

お金持ちになってもボブデミミッミ

綺麗でい続けてもボブデミミッミ

結婚して愛されてもボブデミミッミ

社会的に偉くなってもボブデミミッミ

人の悪口言わなくってもボブデミミッミ

いい子でいてもボブデミミッミ

生きててもボブデミミッミ

真面目に仕事して何か残してもボブデミミッミ

続けてもボブデミミッミ

人のためになることしてもボブデミミッミ

苦労と努力で得たものもボブデミミッミ

 

あのタイトルコール、最高に好き。

 

ボブデミミッミには条件はないし、

ポプテピピックにも条件はない。

 

なのにねー。

 

 

手を離すから、離して。

 

手を離して試すようなことはしない。

もう、離すと決めたから離す。それだけ。

だからあなたも離して。

無駄に、無理に優しくしないでいいよ。

ただ、お互いの日々を良いものであろうと生きていく。

それだけでいい。

もうガマンもしないでいい。

これだけやってるのに、なんても考えなくていい。

ありがとう。

ばいばい。

お互いに大丈夫だから、もう行こう。

大丈夫。

最初から横になんていないんだから。

なかったことにはならないけど

もう大丈夫だから。

 

なにより二番煎じなのなら、必要ないでしょ。

(1)

あなたはだれですか、

あなたを突き動かしているのはどんな人間ですか?

 

 

わたしとずっと一緒にいるのは、

小さな女の子です。

夢見がちで、可愛いもの、うつくしいものがとても好きな表現力豊かな少女です。

言葉の組み合わせから来る新しい感覚や、自然から溢れる情景に五感を向けることが好きで、それを自分の長所と認識しています。

さらにひとの感情に敏感で、表情や言葉から特に恐怖や不安という感情を汲み取りやすく、そして影響されやすく、もっといえば自分がそれを解消せねばならないとまで負い目を感じる自信家でもあります。

ただ、彼女は決して同情や庇護のみを欲しているわけではなく、寧ろ弱いものとして扱われることに慣れていません。なので、自らが望まないうちに他者が手を差し伸べることを侮辱と捉える節があります。これは、幼い頃から「できることは自分でやってきた」という一種の傲慢さとも言える彼女の自信がそうさせています。

なので、本当に自分ひとりではどうしようもない時に人を頼るのですが、普段より助けられる事に嫌悪感があるため、自分よりも格上と認めた人間(この人なら私を助けてくれる能力があるだろうと認識した人、役割として私を助けるべきだと思った人)にしか助けを求めません。例えばそれは両親であったり、分野において特に信用に足る相手だったりします。ただ、これは彼女の出生が影響しているですが、頼るといっても信頼しているわけではないのです。

これは最近わかったことなのですが、

基本的に色々なことに懐疑的であります。

いわゆる、無条件の愛というものを信じていませんし、それ自体に肌感覚も脳も追いついていません。

なにかを得る、その代わりにあるもの。そのくらいの認識でこれまでの恋愛も経験してきたことでしょう。

なので何か差し出せるものがない内に誰かに求められてしまうと、無理をしてあるものでできるだけ対応するようにします。それはお金や、体や、言葉ですが、望んでそうしたことという認識は本人の中で未だしっくりきていません。

嫌われない、という目的の為に全てを行ってきたというのが大枠で自分の本音として正解だと考えています。

おそらく、

初めて知った感情が彼女にとって恐ろしいものだった為、とりあえずは彼女の中でわかりやすく快感を得たもの。つまり物や経験で相手に快楽の感情を得ようと考えているのですが、

物やお金でひとの心は手に入りませんし、ぶつかりあうことに、死を連想するほどの恐怖を覚えてしまった今、なかなか恐怖から抜け出せずにいるのです。そして残念なことに

怖い、助けてほしい、と言えればいいのですが。それもそうでない。