誰かの寂しさに寄り添えるのであれば

 


質問は甘えだ、って言われた時にどうしても分からなくてずーっと考えてたけど

なんか今日少し分かった気がする。

 


質問は興味があるからするって思ってたから、いいことなのになあと思い込んでた。

甘えは悪いとも思ってたから、

捉える意味の尺度が正直今でもわからない。

 


でも、推し量るというか

こういうことなのかもしれない、っていうのを相手との会話の中で想像してみる。

ヒントを拾ったり、行動と照らし合わせてみる。その人と私の経験の重なる感情を探ってみる。知りたいと、深く広く強く思う。

という最低限の努力なのかも。

それは私の枠を超える怖いことだから、あまり考えないようにしてきたけど。

 


質問して、全部答えを教えてもらってわかった気になっても、それは理解した事にはならないし、きっと自分で考えないから腑にも落ちなければきっと簡単に忘れてしまうのかもしれない。

その人と、私の思い出は違うから使う言葉は同じでも意味合いや感情はきっとちがう。

そういうところの、まさに微妙な部分を面倒くさがらずに追いかけられるか、違いを楽しめるかってことなのかも。

 


今日頑張って自分の希望を伝えようとする人と話して、私なりにわかる言葉というかお互いの共通言語に近い単語を並べて会話をした時、最後に

わかってくれてありがとう

っていってもらえて、その時になんかが来た。

 


用意された言葉には嘘はなくても

取り合う意味が違っていれば、またその差が大きすぎれば簡単に諍う。

経験は時に非常に大きなハンデだけど、

どうあってもいい。わたしもあなたもと思ればこそなんだとそう思いました。

 

 

 

人の話を聞かないわたしが

唯一

全部覚えていたいと思えるあのひととの会話。