脳の安息。
目を見つめて心拍数が上がるような瞬間をまた感じたい。
目を閉じた顔を見たくて目を開けたい。
好きすぎて、泣いてしまいたい。
一緒に食べるのを想像して色々買って帰ってすこし怒られたい。
少し白んだような、
スーサイドスクワッドのハーレクインがまともなジョーカーとの結婚生活を夢見るようなシーンだな、これは。
今、ここにしかないものと
ないものをつなげていきたいけど
自分だけの時間と他の人の時間というか人生をつなぐ時の境目の粗さに怖さを感じる。
わたしギザギザしてるのにすべすべしてるひとばっかりだから、繋がるとき相手を傷つけるだけして通り過ぎるみたいなこと。
それはなんかいやだなあ。
傷つけてるのに、傷ついてる。
すべすべしてるひとにはわたしもすべすべして摩擦なく、触れ合いもせずに印象にも残らずにそうやって終わりにして。
安心して話せる相手にだけギザギザする。
ギザギザがハマる人である時、相手もギザギザしてたりすることがおおい。
わたしをすべすべにさせるのは
相手への不信や、恐怖や、遠ざけたいという気持ちや、際限も途方もない尊敬や、よく見られたいというエゴだ。
自分発信の感情及び対応なのに、だいぶ自動化された反応に近くて、最近どうしたらいいかわからない。
品良くありたいけど、言葉を選ばずに伝えたい。
とか
静かにしていたいけど、たくさん笑いたい。
とか
今死んでも勿体無いとか思わないけど、未来の準備をしてしまう。
とか
正反対の位置ではなくても、ややベクトルの違う領域に自分らしいと思う要素がちらばっていて「わたしはこうです。」というのが自分でもよくわからないから、これでいいのかな?っていつも居ない誰かを振り返って答えを探してる。
新しいこと
どきどきしてずっと見てしまうこと
興味や好奇心
嬉しいこと
失敗しても笑っていること
愛情のもとに生きてると思えること
これらをわたしは必要としてるし、
いつか成長したら
これを誰かにあげられたらいいなと思う。
完璧なんてなれない。
憧れも、今はすこし染みて痛い。
自分が辛くなる要素を一つずつ捨てていって
自然なわたしと、その言葉で生きていけたらいいな。
すき と
たのしい と
しりたい と
うれしい と
きれい と
わたしらしいなんて意識することもなく。
目的が先行する感情じゃなくて
打算とかじゃなくて
いつ誰に腹を見せてもおんなじにしてみたい。