証明の人生殴り書き
我慢と嘘
嘘じゃない証明
我慢と嘘
嘘じゃない証明
我慢
我慢した分を取り戻すための虚勢
虚勢じゃない証明
1番苦しかった26から7年間の歩みはきっとこんなのだ。
正直今まで損をしてる。
当たり前だけど、自分と向き合わない為に忙しくし、肩書きをつけ、めんどくさくなって全部手放し、やっぱさみしいとなってわかりやすいものに手を出しては問題が起き、まためんどくさくなって手放す、の繰り返し。
人より損をして、わたしって何を得たいんだろう。
同情とか、庇護とか、わかりやすい優しさかな。
しかも純粋なものが欲しいんだ。
愛される為に、愛するとか
何かをもらう為にいい顔するとか
守ってもらう為に弱くなるとか
そういうのはわたしの中で全部偽物だから
受け入れるのはとても苦しい
でも証明しようのないことばっかり考えてる
あの人はこんなん言ったけど、他の人には違うように言ってるし、ほんとってなんなの?とか
健全な?
見本が周りにないのだな、とも思う。
もちろんあるんだろうけど
逆説が先に立ってしまう。
「よく見えてるけど、ほんとは違うんでしょ?」って。
ただその考えって、わたしの欲求を満たすための主観なんだろうなって思う。
周りにもそうあってくれ、っていう呪いみたいなものなのかもしれない。
それは、なんていうか理解ではなくて押し付けだな。
見えてるものの後ろに勝手に自分の知ってる世界のレイヤーを貼って納得してる。
これって気持ち悪いよなあ。
人の話じゃなくて、自分の世界のストーリーを増やして可哀想なダサくて、酷な世界の住人を作ってまだ自分はマシだと思いたいんだなあと思った。
正しく見る、なんてことは不可能だと思うけど
相手の状態を想像して話を聞くってことが大事で
もう頭の中に
こう言う状況=こういうヤツ
みたいなのがあるうちは大事な人と関わっちゃだめな気がしてきた。
そして相手を定義付けないと不安なわたしは多分毎日自分のことも否定しまくってるんだろうなって思う。
相手にそぐうように、だけじゃなく
火のモンスターには水を(表面的には油を)
水のモンスターには雷を(表面的には水を)
って感じで、日々勝手に戦っているかんじ。
それは、いい関係を作るって言う事じゃなくて自分を守るためなのかもしれないし。
倒す事で自分を上げたいのかもしれないし。
でそれってやっぱり自分の中で偽物だから苦しくて自分を否定してうそつき!って毎日思ってしまう。
苦しみたいんだなあ、なんでだろ。