心は勝手に繋がらない。繋がりたい気持ちの重なりだ。
死んじゃった後のこと考えたことある?
天国や地獄ではなくて。
保険の話でもなくて。
宗教についてでもなくて。
故人を忘れたくない人がいるってことについて。
ずっと一緒に在るっていうのは
もしかしたら、とんでもなく贅沢で不可能に近い願いなのかもしれない。
世の中の仕組みはよくわからない。
輪廻転生とかも、復活とかもわからない。
いつか来る事実として、
例えばわたしのお母さんが死んじゃったら
肉体を持ったお母さんにはもう会えない。
直接会話をすることも、触ることもできない。
あるのは思い出と骨とお墓だ。
思い出は、きっと改竄される。
良くも悪くも。
ただ、骨もお墓も、お母さんではある。
わたしが、忘れない限り、そこにはわたしの
お母さんがいる。
思い出を間違えたり、変えられてしまっても
お母さんが、存在する。
一緒の時を生きれなくても、時間の経過の速度は違っても認識することで
私とお母さんはずっと一緒にいられる。
お母さんがいるということは、お父さんもいるし、おばあちゃんもおじいちゃんもお兄ちゃんもおばちゃんやおじちゃん、いとこの子たちやもちろんわたしもいる。
誰を起点にするとかは今は関係なくとも、どうしてもつながる。
今日厨子甕という、沖縄の骨壷を製作している学生の話を伺った。
繋がりたいんだな、と思った。
彼女は、自分が死んじゃった後いきなり知らない壺の中に入れられるんではなくて、自分が作って死ぬまで可愛がった壺の中に入りたい。その方が居心地がいいと思うんです。と言った。
最初は語り口から、なんて明るい死後のプランニングなんだろうと思ったけど、大切なひとたちとの永遠を考えてるのかな、とも思った。
愛も深すぎると見えないというけど、まさにそんな息が詰まるような、しかし爽やかな渇望があるように見えた。
大切なひとを忘れたくない、
大切なひとから忘れられたくない。
生きていたら誰しもふと思うことなのかもしれないし、大切なひとを忘れないというのは人間に備わった人間らしさと呼べる部分なのかもしれない。
だけど
忘れること自体というのは、長い時間や強烈な幸福や不幸が手伝ってしまうことがある。
だから
忘れないというのは、彼女の中での誓いと自分のことも忘れないでほしいという願いなのかなと思ったら、なぜかわからない感情で涙がでた。