怖がりの国へ
ひとつ、うまくいかないこと。があると
「もしかしたら、芋づる式に嫌な事が起きるかもしれない」なんて不安が起きたりする。
最近は、しがみついていたものを少しずつ離していけるようになったからなのか
とても気持ちが楽だったのに、どうしたんだろうか?ってくらい、ぐにゃぐにゃした気持ちになる。
でも
わたしの心配ごとは、
いつも自分の中で独りで巻き起こる。
確認すれば、
事実がわかるのに
わたししか見えない見え方に固執してる。
怖い、からまだ抜け出せずにいる部分が体のほとんどを占めてる。
こう思われてたらどうしよう、
こんなことになってたらどうしよう、
こういう事がおきたらどうしよう、
事実とは別の世界線で起きもしないことを不安がって、やることを放棄してるのはなんでなの?
やりたくない事があるのかな?
好きな人に嫌われる痛みを感じたくない?
理由は多分色々挙げるんだろうけど、
多分全部それ嘘なんだ。
事実があったとして、
それをどう見るかは、相手の問題だし、
わたしの問題でもある。
ただ、違いがあることを受け入れたくなければ、その先がないってだけ。
そもそも、確認していない妄想を事実として受け入れるってリスキーというか、頭わるいというか、何も特をしないというか。
しかも大抵の妄想の中でわたしは
傷ついている。
めちゃくちゃ傷つけられている側にいる。
責められている。
それを知った時、
わたしは、わたしのことを
傷つけられてもいい人間で、
責められるに値するような人間だと思っているって事を理解した。
加えて、周りの人たちは
「わたしを傷つけてくる悪者」だ。
もはや、どっちがだよって話。
そして特別になりたかったのは、特別になれば
傷つかないし、責められることもない。
勝者でいられる、上でいることができる。ってずーっと思っていたからなんだね。
勝者も上もこの世というか、わたしの到達するであろう終わりには存在しないし、なんなら神と呼ばれてた人ですら、色んな人に責められていたというに。
よっぽど、自分で自分を責めて、許してもらう理由が必要だったのね。
あー、許されたかったんだな。
本当に、これまでの人生で罪深いって思うこと4つあるからなあ。。
悲しいなあ。一生言えないと思うから、どう理解していこうかな。
現実は、得ようとしているものの逆だからこそ、ないものねだりをしてしまうのに。
もともと特別だから、特別扱いなんて必要なくて、
もともとハッピーだから、人に聞かせて回るようなお伽話は必要ない。
見えている部分は煙で、殆ど火なんて見えない。
気づいてから2週間。
テンションだけ上がらないように、ゆっくり考えてる。
焦らず、静かに、一々「でも。」「無駄」とか思っても気にせずに食べるし、やる。
まだ、体にひっぱられすぎるから、前みたいにチャキチャキ動かない。
ゆっくり。ゆっくり。
いつもいろんな考えが常に頭の中に浮遊する。
相手への反応も、自分への回顧も、何もかも、
「責められるべきわたし」が考えてきた逃げ道だった気がする。
今も全然そうだし。前より少し濃度が薄くなっただけ。
大丈夫。になるまで、時間はしっかりかけていいと思ってる。
わりと考えてきた方だけど、間違えてきたのも本当だし、責められるべきわたしが考えてきた考え方はただ間違ってるから。
とりあえず変にエセポジになって、テンション上がって勢いよく落とし穴に落ちた経験もあるから、とにかく、ゆっくり。
(あれも学びだったんだ、って間違いを認めなかった事自体も、落とし穴だったのね。)
時間は有限なのはわかってるけど、とにかく今はこれがいいと思う。
ゆっくり。
仕事は急いでやるけど。
焦らない。
ゆっくりでいいのだ。